2017年8月16日水曜日

口にしたおかえりの約半分が五臓六腑をからから駆ける

八月帰日


盆の東京の静けさ。この凪のような東京を見ていると、普段の東京大都会の繁華は東京出身者のものではないんだな、と思う。

わたしは東京出身者なので、盆暮に帰省するところが特別ない。いつも通り東京の電車にのって、都内のおうちに帰るわけだけれども、お盆の時期はなんだかいつもよりもずっと、正しいところに帰っているかんじがある。どこにいてもよそものの感じがしない。すっ、と風が通っている。いつもの東京が、やたらけばけばしい、ほかのだれかのためのものに思えてくる。


しかしまた今日くらいから街にも人が増えてきて、帰省帰りっぽい人、のおおきいかばん、がそこいらじゅうに散らばっている。電車の中も、そのかばんの持ち主たちの肩のあたりから発せられているフルチャージ感とか、夢と現実の狭間で息継ぎをするときのハッ、現実にまたとびこみます、みたいな覚悟のある高揚が充満している。わたしはぼうっとそれを見ている。盆の終わり。明日からまためまぐるしく、街は波立つのだろう。わたしもどうせまた、わけわかんないまんまそれに飲み込まれていく。溺れるまえにおかえりを言うね。なんでおかえりなんだろうね。

2017年8月13日日曜日

炭酸海

八月海日


海に行った。

土曜の夜のうちに電車で海のそばまで行って、よなかはスーパー銭湯で遊んで少し眠って、日曜の朝一番の電車で浜へ行った。朝の海水浴場はまだ人もまばらで、熱心なサーファーか、犬を散歩している近所の人がちらほらいるくらいだった。砂浜にビニールシートを敷いて、朝食を食べていると、海の家のお兄さんがずいぶん早いね、と声をかけてくれて、貸しロッカーを開店前からあけてくれた。身軽になった私たちは砂浜で朝寝をした。少しだけだけれど夢を見た。内容はよく覚えていない。砂浜と海と空と夏に挟まれて、それらと一体化して、ぺたんこになっていくような感じだった。宇宙みたいに暗くて静かなところにいた。目が覚めたとき、果てしなく明るくて驚いた。海水浴客がちらほらと集まりはじめていて、賑やかな声が四方八方からきこえる。起き上がってもしばらくは現実ではないみたいだった。何枚か写真を撮った。


それから採集を開始した。小粒の貝殻、シーグラス、やさしい石、楽しくなったごみ、いろいろ拾った。海から来たものは、都会とかで見る姿よりもかなり穏やかになっている。海なんて滅多にこないので、すべてが珍しくて、落ちているもの、貝殻、石、砂の一粒一粒ぜんぶを見ておきたかった。随分熱心に採集して、ふと気付いた時には、海水浴場は人でいっぱいになっていた。波の音にまけないくらいの、人の声がする。笑い声とか。


さてと、となって少しだけ海に入っておよいだ。顔をあげたままする平泳ぎで、ブイのところまでは行けなかったけど、けっこう深いところまで泳げた。泳ぐのなんて何年ぶりだろう。もっとすごくうまく泳げたら、海と一緒になるような感じになっていいだろうなと思ったけど、へたくそでも充分気持ちよかった。疲れたけど。


それからまたヤドカリとかを見つけて、波打ち際で遊んで、海の家でお昼を食べてビール飲んで昼には浜を出た。駅の方からわくわくした感じで歩いてくる人がいっぱいいた。海はこれからますます人でいっぱいになるのだろう。なんだか不思議だ。普段、街中のコンクリートの上をてけてけ歩いたりして暮らす人たちが、この時期は水際にあつまって、海と戯れる。服を脱ぎ捨てて、みんなすごく笑ったりして。


思い出の記録だからオチはない。とても楽しかったよ。夏ポイントがたまった。










2017年8月8日火曜日

八月のあなたをぜんぶ教えてよ わたしの水着想像してよ

八月夏日


吉祥寺で花を買って、墓参りに行って、帰りのバスを間違えて、なんか微妙によく知らないところに来てしまって、とはいえ家まで歩けそうだったから、夏の道を、ぼうぼう歩いた。アスファルトに反射する日差し、熱、を、東京の夏のにおいだと思っておもいきり吸い込んで、あ、いま私は心底安堵している、と思った。白線がすうっと伸びている、電線がしなやかに空を走る、この調子よく整った住宅街は、閑静、と謳われている。わたしの足音は近くに、都会の喧騒はごうごうとその果てに、全部を混ぜようとする蝉の声、が、まとめてぜんぶきこえる。しずかで、安らかだ。民家の庭にさるすべりのピンク。道端には立葵。高い塀からはみだしたひまわり。ありがとう、自然と土のにおいを嗅ぎ分けちゃうな。じっとりとしたなまあたたかい風が肌に絡んで、ああいますぐブラジャーとりたいし、じぶんのからだごと夏に溶け込んで、びしゃびしゃになって、すがたかたち を失いそう。だれかのことをかんがえる。わたしはけだるい海になる。アイスクリームありがとう。どうしてこんなにすばらしい。他には帰る場所ないし、東京の夏がだいすきだよ。


2017年8月4日金曜日

夏の虫

八月鍬日


仕事で大きなクワガタを見せてもらった。立派なクワガタだった。クワガタは飼ったことがない。クワガタとの暮らしはどんなだろうか。懐くのかな。


先日法事で唐津へ行ったとき、いつのまにか背中に小さなクワガタがついていたらしく、通りすがりの、おそらく私と同じように旅行できていると思しき少年にとってもらう、ということがあった。

散歩に疲れて宿のそばの海辺でぼんやりと黄昏ていると、背後からねぇ、と少年の声がして、振り返ると絶妙な距離感のところに小34くらいの少年が立っていて、

「服にクワガタついてるよ」

ともじもじしつつもじっとこちらを見てそう言うのだった。びっくりした。クワガタなんてそもそもあんまり見たことないし、どうしていいかわからずにいると彼が自ら

「とっていい?」

と買って出てくれたので、お願いします、と頭を下げてとってもらった。4センチくらいの小さいクワガタだった。


少年がクワガタを掌にのせて、なにクワガタだろう、とか言いながら見ているので私も一応見たけど、いつからこれを背中に従えていたのだろうと考えるとぞわぞわした。その日は暇で自転車を借りて海のそばの松林や神社に入ったりしていたので、そのどこかから道連れにしてしまったのだと思うが、クワガタは何を思って私の背中にへばりついていたのだろう。私が急に寝転んだりしたら終わりだし、落ち着かなかっただろうな。


そうこうしてるうちにそこに少年の母親もやってきて、そろそろ帰るよ、みたいになって、その時のこの親子の、

「クワガタ連れて帰っていい?」

「え~、クワガタは明日新幹線のれないよ」

「今日だけ」

「え~、じゃあ自分でお姉さんにお願いして」?!

という会話が、夏休みっぽくてすごく良かった。そして少年の、

「クワガタもらっていい?」

と少しもじもじしつつも目はキラキラとこちらをみながら言ってくる「クワ」の言い方、ずっと忘れられない。(親子の中で私がクワガタと旅している人みたいになってるけどそれは置いておいて)


それからクワガタ飼いたいな。とちょっと思っていて、今日見せてもらった立派なクワガタ、これなに食べてこんなに大きくなったんですか、やっぱ喧嘩とかするんですか、室内で飼ってるんですか、とかいろいろ聞いてたら、その立派なクワガタが数万円で取引されている超高級クワガタだということを聞かされ、そんなことあるのかよってぶったまげている。背中にくっついてくるくらいがかわいいな。元気かな、クワガタ。あの少年も。


八月鳥日


外の掃き掃除をしていて、道のまんなかにへばりついてどうしてもとれない白っぽい何か、があった。箒しかなかったので頑張って掃きとろうとしたのだけれどだめで、すごい雨が降ってきたのであきらめた。雨が上がり外に出るとびしょびしょに濡れたそれの輪郭がさっきより微妙にはっきりしていた。よく見るとそれは死んだ鳥のようだった。雀かなにか。私は声も出せなかった。車通りは少ない道だがきっと轢かれてしまったのだろう。どうして、という言葉が身体の中で次第に増殖してどこかから溢れ出す寸前だった。もはや何のどうして、かもわからないし、悲しいのとも恐怖とも違う、強いていうなら悔しかった。しばらく身体が動かなくて、ずっと見ていた。そのあとのことはよく覚えていない。なんとか道から剥がしてどっかに埋めた気がする。それが三年前の夏のこと。グーグルフォトを見ていたら、三年前の今日のできごと、ということでその写真が出てきた。写真に撮った記憶はあんまりないんだけど、改めて写真で見るとやっぱり鳥の形だった。君は鳥、と声に出してその写真は消した。葬い。

2017年8月1日火曜日

あまた

八月一日


夏だ、と思ったその日から、毎日にナンバリングをしていた。夏①、夏②、というふうに。それもだんだんぐだぐだになって今日が夏何だかもうわからない。八月になった。八月だ。八月一日。七月はどうだったか。ひと月前の七月一日には、早速花火をした。それから、ブッチャーズの『七月』を聴いた。そうして夏の、夏ポイントをためていく。夏らしいことをすればたまる。これからも夏ポイントをためていく所存。何ポイントたまったか、もはやわからなくなるくらいに。(たまったらどうなるのだろう)

八月一日は、雨。数えきれない程の粒。先月私は二十八になった。もうすぐ母が死んで丸三年になる。三年経ったからなんだというのだろう。わたしたちは数える。指を折ってかぞえる。指を折ることは掴むこと。すべてはなしてしまいたい。


べっとりと雨に濡れている。

2017年7月13日木曜日

昼間に眠ったから眠れない。熱帯夜ですね、って誰かに言いたい。こんばんは熱帯夜ですね。


扇風機をまわしている。部屋の空気がかき回されて、たとえばここに幽霊がいたら飛ばされちゃったりするんだろか、とか考える。しかし幽霊はいない。

かわりに風にのって、仏壇の花瓶にさしたユリのにおいがする。けどおかしくて、ユリは今日買ったばかりだからまだ蕾なのだ。たぶんこれは記憶のにおいで、脳みそから直接香っているのだと思う。それから水のにおい。これは出元がわからない。これも記憶かな。


おわかれの日の前の夜中に手紙をかいたこと、を思い出してる。他の誰にもその存在を伝えずにこっそり棺に入れた。いっそうユリのにおいがする。瞼にふれそうな白い花びら。


窓を開けたら虫がしずかに鳴いている。最近は夜こういうかんじで勝手になみだがでてしまう。はやく阿保みたいに蝉鳴いてほしい。1時間だけクーラーをつけよう。ぴしぴしに固まった部屋でねむる。タオルケットにくるまって。

2017年6月9日金曜日

ゆびきり

指、絆創膏を巻いていたところがふやけて、白くぶよぶよになってしまった。当の傷口は薄く笑みを浮かべた唇のようで、私はつい、深海魚、と口にする。自分の指を見て深海魚のことを思うとは。気味が悪くて、でもじっと見てしまう。一生このままだったらどうしよう。今後ずっと、人差し指の先に深海魚を住まわせる。私が私の左人差し指で触れるべきものに、間借りの深海魚が触れる。私の代理として。私そのものとして。


半分ギョッとしたまま、もう半分は圧力をかけるための見張りのような気持ちで、私はしばらく己の指を見ていた。ずっと見つめていると、ほんとうにどこかの海辺で、砂浜に打ち上げられた深海魚と対峙しているようなかんじがしてくる。自分のゆび、手のひら、甲、つめ。すべて幻のように思えてくる。静かな幻のなかに深海魚が、ぼうっと白く発光して、へたれて、居る。何も言わずこちらをみている。蒸発していく水分の匂い、いや、深海魚のにおいがする、気がする。


このままどんどん渇いていったら、深海魚は死ぬのだろうか。想像の中で、私は慌てて、そのからだを押して海に戻そうとした。両手がこの生き物に添えられ、左手の人差し指が、この生き物の口元にめりこむ。重くて、砂は湿って、私は汗をかいて、ようやく、生き物を水際へと押し出して、さあ手を離すと、深海魚の顔に、私の手の跡がついている。私の手の形に、くっきりと凹んでいる。跡は、水分を取り戻しゆくなかでゆっくりとふくらんで消えて行くようだけれど、深海魚は動かない。泳がない。笑いもしない。そして、やっと元のぶよぶよの姿に戻ったところで、深海魚はうすく開いた口から血を吐く。


はっと我に返って指を見る。ずっと見ていたのだけれど、見る。一部だけ私でない部分。皮膚の表面が少し乾いてきたからか、より白く濁って影を持つようになり、口元は硬く笑みを失っていた。とっさに握った手の内に、深海魚のいる感覚は無かった。


ある人に、中くらいのダンボールいっぱいのジャガイモをいただいたのだった。近所の人に分けたり、積極的に使うようにしてはいたけれど、そう簡単に消費できる量ではなかった。

箱の中のすべてのじゃがいもから今にも芽が出そうで、深夜、ふと目が覚めて水を飲みにキッチンへ行ったときなど、ダンボールから音がするような気配すらした。


なんとかして使いきらなければならないと思って、週末に肉じゃがとカレーとポテトサラダとソテーを一気に作ることにしていた。指は、その時に切った。幾つものじゃがいもの皮を剥いているうちに、右手と左手とじゃがいもの区別がつかなくなった。その瞬間、キッチンの蛍光灯の白い光が、包丁にぼんやりと、でも白々とたしかに映っていたのを覚えている。


ぼうっとしていたと思う。痛みは稲妻のようだった。深く切ったわけではなかったので、出血は大したことなかったけれど、流水で傷口を洗っているときのそれは、するすると流れていく他人の涙のようだった。血がとまってから絆創膏を巻いて、ビニールの手袋をして、左手が捕らえられたようになりながら、カレーとポテトサラダだけ作った。その間傷口はすこしだけズキズキして、ビニール手袋の中に小さな新しい心臓をしまっているかのようだった。







2017年4月6日木曜日

りんご/ねこ/花見/前髪/いい子

3/31

雨だなぁ。

なにもやる気がしなくて、りんごを剥いて食べた。コーヒーを甘くした。風邪をひきかけているようで、節々がぎしぎしする。






4/1

風邪薬を飲んで寝たからか、目覚めがいつも以上に悪く、目が覚めてからもしばらくぼんやり寝ると起きるの間にいた。寒かったので暖房をつけて、その風でカーテンが揺れるのを見ていたら、猫がいた時のことがわーっと思い出される。写真を見返したりして、寂しいような幸せなような微睡みのときになった。猫のこと、2年くらい前のことなんだけど、なんだかもう信じられない。写真もあるけど、あれって本当に現実の話なんだろうか。一緒に寝たのとか、幻みたい。楽しかったな。






4/2

急に休みになった。お花見に誘っていただいて、少しの時間だったけどお花見した。楽しかったなぁ。素敵な方々だった。

桜、今年は開花がゆっくりめなのか、五分咲き。どうせならこのままゆっくり咲いて、ゆっくり散ってほしい。

夕方、代官山。代官山は少し苦手。迷う。






4/3

朝、満員電車過ぎて腰がねじれて、肩がつぶれて、首がこわれてしまった。

伸び過ぎていた前髪をやっと切ったので視界良好だが、ものもらいにでもなるのかきのうから目が腫れていて、お化粧もできないのでなんか中学生みたいな見た目で1日過ごしてしまった。







4/4

昨日の、中学生みたいな自分の見た目が悲しくて、普段なら絶対買わない、青みのあるピンク系の口紅を買った。ドラックストアに売ってる、安いやつ。どうせ似合わないんだろうが、御守りとして。







4/5

高野文子さんの漫画『棒がいっぽん』を、ずっと買わずに耐えていたが、ついに買った。昔漫画喫茶で読んでから、ずっと忘れられなかった。けど、なかなか、読めない。その中に入っているあるお話が、とても心をえぐるので、迂闊に読むとだめになってしまいそうなのだ。


桜、だいぶ咲いてきた。





2017年3月30日木曜日

3/26

雨が冷たい。雪が降ればいいのに。

同じバスに乗り合わせたおばさまが抱えていた、すこしだけほどけたチューリップのつぼみに水滴がついていた。冷たそうだったけど綺麗だった。花びらは、水をよくはじく。




3/27

独特なセンス、独特な感性、独特な雰囲気、独特な世界観。これらは賛辞であるらしいが、この独特なセンスや、感性や、雰囲気や、世界観なるものをもってして生まれたモノはその独特さが故に共感性が薄い……気がする。おまえわけわかんないこと考えてるよね、よくわかんないけど、そういうのいいよね、って。

いやそんなはずはないと信じたい。世の中には色々な人が居て、独特さにも色々あって、わたしたちは独りにならないように、己の独特さをぶつけあいながらわかってくれる人を探している。伝え方を工夫する。





3/28

話題のアニメ『けものフレンズ』をまとめて見る。この番組が始まってから、いい大人がバカみたいに「すごーーい!」「きみは〇〇のフレンズなんだね!」ばっかり言ってるのをよく見かけたのでふざけたアニメだと思っていたが、いろんな動物(聞いたことはあるけどよく知らない、ちょっと珍しいやつ)がたくさん出てきて楽しかった。例の台詞は思ったより出てこない。みてる人同士が盛り上がるための、パワーワード的なものか。中学生くらいのときから、そういうので盛り上がるのがちょっと苦手。よそ者には回収できない伏線、みたいな。まぁじぶんも勢いで使ってみたりするんだけど。





3/29

『けものフレンズ』全11話だと思っていて、昨日、最終話まで見たと思ってたんだけど、12話があったみたい。衝撃的すぎるラストだったから見終わったあとしばらく豆鉄砲喰らった鳩のような顔が崩せなかったんだけど、続きあるんだ。安心したような、あれでよかったような。





3/30

前ほど街に出なくなったからか年齢かわからないけど最近あまりポケットティッシュを配ってもらえない。














2017年3月26日日曜日

3/22(水)


大阪に行った時、新幹線で読む用に買ったものの初めての大阪にテンション上がりすぎて全然読めてなかった西加奈子さんの「通天閣」を読む。夜、最寄駅ちかくのパスタ屋で。謎の店だが美味しかった。

西荻にぶらさがっている象が新しくなっていた。








3/23(木)


早朝のバスで長野へ。バスタ新宿、はじめて行った。昼前に長野駅についてそこからまたバスで山道を行き、戸隠で蕎麦を食べる。あまり食に関心がない方なので、5時間かけて蕎麦を食べにいくなんて正直信じられないことのだか、5時間かけて来て良かったと思える美味しさだった。それから高く積もった雪やつららを見た。触った。雪の上を歩いた。層になって積もる雪の断面は美味しそう。あと雪が舞うのをたぶんはじめて見た。降ってるんじゃなくて、舞ってる。意思なく降り注いでいるような細かい雪、綺麗だった。東京に大雪が降ったのは4年くらい前のことだろうか。歩きながらあの頃のことを思い出したりとか。

夜は別所温泉に泊まった。平日なので宿泊客も少なく、露天風呂は貸切状態だった。露天風呂でビールを飲んでいいとのことだったので、せっかくだしひとりさみしくビールをのむことにしたが、全然さみしくなかった。最高だった。早寝。





















3/24(金)


少し早起きして朝風呂をする。上田まで行き、上田城跡を見る。もう城自体は残されておらず。記念公園みたいになっていて、観光客も地元の人もそこでのんびり過ごしている。ぶらぶらしていたら、後ろから地元の高校生と思しき青年たちが「どーする? とりあえずアリオ行く?」とか言いながら自転車でワーッと来る。春休みの部活帰りかなぁなんて思っていたら彼らのうちの1人が私たちを追い越す際に一瞬振り返り「こんにちは~!」と爽やかに挨拶して去って行った。びっくりした。


地方都市のショッピングセンターが気になっていたので我々もアリオに行く。地元民にまぎれてフードコートでお昼を食べた。フードコートでデートしてる高校生くらいの人とか、クラスの人に絶対見られるだろうに、あれってちょっと照れくさいけど、誇らしいかんじなんだろうな。

あとゲームコーナーで、モニターを隠して完璧なバチさばきで太鼓の達人をこなす中学生くらいの男の子を見た。まわりに、友達と思しき女子たちが来ても動揺することなく、コンボをキメまくっていた。かっこいい。


19時過ぎのバスで23時ごろ東京着。知らない場所にいくのは楽しいけど、帰ってきて新宿や下北沢の街並みを見るとすごく安心してしまう自分がいる。それが旅の醍醐味なのかもしれないが、少し悔しい。もっと知らないところに行きたい。















3/25(日)


花粉症が、年々じわじわ悪化してきている気がする。アレルギーテストをしたい。でも、昔「花粉症対策のために、まず敵を知る」と意気込んでアレルギーテストを受けた人の話によると、結果が出てスギ花粉アレルギーであることがきちんと明記されている書面を見たその瞬間から花粉症が悪化したらしく、考えものだ。(しかも、ゴキブリアレルギーであることまで判明したらしく、しばらくは粉末状になったゴキブリの死骸が風で飛んでくる夢にうなされたらしい)

じぶんの弱点を無駄にはっきり認めすぎないほうが、勘違いでも強くいられることもあるみたい。アレルギーテストはやめよう。

でもこんなふうに花粉の話を書いているのも実は「花粉のことを意識しすぎることで花粉症は悪化するのなら、花粉のことを考えて花粉のことを書いたらどうなるか」という実験で、実際、今書きながらくしゃみ鼻水がとまらない。

これからは、花粉が鼻腔に入ろうが入らなかろうが特に影響はない、という設定にして暮らそうと思う。


夜、渋谷で飲む。






2017年3月21日火曜日

日記

317日(金)

夕方渋谷で大学の友達に会う。ずっと恋愛や結婚の話で盛り上がりまくっていたのに、「デートで遊園地いくのいいよね」「でもお化け屋敷は絶対いやだ」という話の流れから、霊感の有る無しの話になり、最終的にガチな怪談話をして解散した。




318日(土)

前髪を切りに行くはずが、ダラダラしてしまう。私の前髪は、他の人の3倍くらいのスピードで伸びている気がする。




319日(日)

朝イチの家の用で休みをとっていた。午後は西荻のイベントに行った。ものすごい砂埃だった。砂埃ごしに穂村弘さんとPIPPOさんのトークショーを聞いた。谷川俊太郎さんの言葉の引用で、現代は詩が詩の中に無く、音楽とか、お笑いとか、まったく違うものの中に詩はある、というようなことが話されていた。ああそうか、と思う。

小学校のとき、詩人に憧れていたときがあったが、憧れていたあの頃ですらも、散文詩の在りどころはわからなかった。作っても、誰にも見せることはできなかった。勇気や覚悟が足りなかったのだとおもう。恥ずかしくはないが照れ臭い。詩はたぶん、文芸に寄り添っているだけで、文芸そのものではない。もっと感情的なこと。ポエみ。だとおもうから、それをそのままは照れ臭い。こころが、潔いまるはだかじゃなくて、なんか、薄いすける布だけいちまい纏ってる、みたいな。ポーズする照れ臭さ。全裸より、靴下だけ履いてたほうがエロいよね、みたいな、演出による恥じらい。そういうのを、あっけらかんと公開する勇気はむかしから無い。

だからちがうなにかの形をかりて詩をやる。言い訳をしなければ詩人になれない。短歌をやるのも、57577の型を借りて、なんてキレイゴトみたいに言ってたけど、要は言い訳かもしれない。

本当に勇気がないな、と思う。散文詩を書いてみるか。


イベントでは短歌の方数名とお会いする。

そのあと別の友人に借りていた本を返して、荻窪のtitleに行き、2冊買う。併設のカフェにもお邪魔する。アップルパイ美味しかった。


風呂に二度入っても砂にまみれている気がした。






320日(月)

夕方に仕事が終わったので新宿に寄る。駅前にいつの間にか桜の若い木が植わっていて、満開だった。TOHOシネマズで話題の『ラ・ラ・ランド』を観る。夢と現実と、現実と夢。夢を追うことを謳う歌に「狂気」という言葉が肯定的に出てきたのが良かった。狂気を肯定したい。私はずっとそれができないので。





321日(火)

久々に朝から大粒の雨。現場が近かったので自転車で走り出してしまったが、3分で後悔した。わたしも大概だけど、すごい雨の中、びしょびしょになりながら道の真ん中に座っている番いのハトを見た。怪我でもしてるのかなと思って近付いたら、2匹ともすくっと立ち上がって何事もなかったかのように飛び上がって仲良くどこかへ行ってしまった。大丈夫なのかな。びしょびしょのハトは髪型がワイルドな感じになっている。わたしは気圧のせいか、いろいろ状態がわるい。





2017年3月19日日曜日

pink cream soda


海がピンク色だったら、砂浜じゃなくて、岩場に行って眺めたい。

岩の、脈絡のない輪郭にぶつかって、電波のように立つ波。白い泡。揺れるピンク。昼間っからずっと眺めて、どんどん濃く、金色の煌めきをも帯びるピンクを見たい。

夜になったら泣いてしまうかと思う。そうしたら部屋に帰って、電球をいくつか、灯して、そのまま眠ろう。眠れなければ、電球、ひとつ食べてしまおう。記憶のなかのピンクが、永遠にあかるく照らされるように。



2017年3月15日水曜日

46820315

テイクアウトしたコーヒーのカップの底からタバコの匂いがする気がするのは何の呪いだろう。今日は食事をとる良いタイミングがなくて、コーヒーばかり飲んでいた。頭がぼんやりする。寒い。冬が帰ってきた。悪いけど、歓迎できない。職場で、石油ストーブをつけた。石油ストーブの匂いは美味しそう。石油って飲んだらやばいと思うけど、どんな味なのかな。まずそう。サラダ油ですら単体の味はいただけない。


大阪で買った尾形亀之助「美しい街」(夏葉社)をとうとう読み終えてしまう。気づいた時に適当に開いて、あまり一度にたくさん読まないようにしてちびちび読んでいた。春休みが終わっちゃった時の感じがしている。寂しいような、新しい日々のはじまりに気分が高まるような。尾形亀之助の詩は青空文庫でしか読んだことがなくて、それでも充分かけがえなかったのだけれど、このタイミングで詩集が出てくれて良かった。高いところとか、遠いところばっかりキョロキョロ見ようとしてしまう私の目線を、ちょうどいいところにすとんと落としてくれる。ふつうのこと、ありふれた、あたりまえのいつものことを、美しさとしていつまでも捉えられるようで在りたい。


昨日の帰りに、新青梅の街路樹のハクモクレンがついにちょっと咲いてるのを見た。モクレンはいきなり咲くので、来年はちゃんと観察しておこうと去年の春に思って、少し前にちゃんとそれを思い出してツイッターに書いたら一緒に観察してくれるひとがいる。嬉しい。その方のおうちのお庭にはハクモクレンの木があるみたいで、うらやましい。でも、鳥が来て咲きつつある芽を食べちゃうらしい。鳥。やめろ。


猫よりも犬よりも、鳥と会話がしてみたい。でも話ができるようになったら、鳥のほうが(特にカラスなど)それを良いことに結構色々こちらに要望を言ってきそうなので、やっぱりやめたほうがいい。やっぱ猫だ。


肩が重い。きのう行ったところが霊の噂があるところなので、やられたかもしれない。

2017年3月14日火曜日

YUGE

ばち、と目が覚めて、あ、寝坊、とうっすら汗をかいたのに、時計を見たら真夜中だった。熱を帯びた羽毛ぶとんの中で、うすい汗がスゥ、と蒸気になっていくのを感じる。それが鬱陶しくて、足首をぐねぐね動かして、布団の外に出す。エアコンがつけっぱなしだったけど、つま先は従順に冷えていく。


三月ってまだ冬だな、と思う。

中学と高校のとき、部活の春合宿に着ていく春服を、zipperとか読みながらすごい考えていたことを思い出す。春合宿はいつも三月の半ばで、普通に寒いから、せっかく考えた春コーデの上に冬物のコートをすっぽり着るはめになる。それか我慢して寒い格好で行ってパーキングエリアで激萎えするか。どちらか。

今思えば、ぶっちゃけお洒落していられるのなんて行き帰りのバスのなかの数時間だけで、合宿先に着いた瞬間から最終日の練習が終わるまではずっと汗だくのユニフォームなんだから、そんなに頑張る必要はなかった。でもあの頃は毎日制服だったし、わたしがわたしだってことを、部活の人に、服で、表したかったんだと思う。思い出すと、アアアってなる。あまり頻繁には思い出したくない。


記憶が溢れるのを遮断するように、無の気持ちでエアコンの羽が動くのを見ていた。羽が、もったいぶりながらすこし閉じるとき、壁にその影が伸びる。電気もつけっぱなしだった。うんざりする。


エアコンを切るついでに、電気を消しにいくついでに、キッチンに行って水を飲もう、と思う。痛いくらい喉が乾いている。けど、そう思いついてからもしばらく身体がうごかなくて、iPhoneを見た。誰からも何もなかった。4時前だった。エアコンが、うるさい。


わたしの部屋のエアコンは古いので、なかなか暖まらないし、そのくせ結構うるさい。めちゃくちゃ気になるうるささではないけど、一度うるさいと気付いてしまうと、耐えられなくなって寒くても消してしまう。うるさい。わたしは思い切って飛び起きて、エアコンを消して、そのままキッチンへ向かう。水をのもうとしたらポットもつけっぱなしだったので、マグカップにお湯を注いで部屋に戻る。そして電気を消して、真っ暗な部屋で、布団の上に座って、お湯を飲んだ。部屋ははやくもひんやりしていて、静かだ。カーテンが半分開けっ放しだった。外はまだ暗いみたいだ。遠くに新聞配達のバイクの音がする。お湯は、すぐにぬるくなる。元々つめたい水をのみに行ったんだから、別にいいんだけど、熱かったものがどんどんつめたくなっていくのはさびしい。もう一度エアコンをつけた。その羽音にほっとする。


近頃は、あまりきちんと生活を送れていないな、と感じる。真夜中にいきなり目がさめること。エアコンも電気もポットもつけっぱなしで眠ってしまうこと。カーテンを半分閉め忘れること。三月だけど、ファッション雑誌を買ったり、春の服を考えたりもしていない。ここをあまり更新しなくなった。長い文章を書くのが怖い。あんなに毎日、生き甲斐のように長い日記を書いていた日々もあったのに。自分のなかのいろいろ、いろいろな情熱、いろいろな気力、とか、心そのもの、が、どんどんつめたくなっている気がしてさびしい。

これは、大人になったから、とかじゃなくて、多分自分の性質の問題だと思う。だって、大人になってもあたたかい人を、むしろ大人になればなるほど熱を帯びていく人を、わたしはたくさん知っているから。


すごく恐れていることがある。去年の夏くらいにはじめた、あたらしい趣味、趣味というか、久々に楽しくて、久々に自分でがんばってみようと思えるようになった救いみたいな活動のことも、いつか、こころが冷めて、ぜんぜん頑張れなくなったりするのかなあ、ということ。飽きっぽいのでこわい。今はまだ、嗜むくらいのことで、もっと頑張っていきたいなって思えてる程度の熱だけど、これが冷めたら、いよいよわたしは終わりな感じがしている。だからやらねばと思う。あたらしい友達や、仲間や、尊敬する人もできて、わたしはその人たちのことをずっと大切にしたい。





ええと、真っ暗にした部屋で、そういうことを考えて、わたしはかなりこわくなって、いまこれを書いている。書いたら、すこし紛れたので、やっぱり書くのはいいみたいだ。お湯は、もうお湯じゃない。冷たい。外も明るくなってきている。未だ半分開いているカーテンの向こうに、早朝のひんやりをうつした窓がみえる。部屋はどうせすぐにはあたたまりそうにないので、やはりエアコンは消し、もう一度布団に入った。布団の中、さっきのじぶんの体温が、まだ残っていてあたたかい。それが嬉しい。れっきとした朝がくるまで眠る。起きて、再び同じ憂鬱が繰り返されても、せめて今日一日はめげないと約束する。







2017年2月8日水曜日



始発にのるから、外はまだ暗いのにカーテンをあけなきゃいけない日が3日くらい続いて、かえりみちは、気温がたったの2℃くらいしかなくて、足りない、足りない足りない。そのわりに、北風だけは出し惜しみがないようだし、これはさすがに独りごとも言っちゃうわ。がまんしてる方だよ。だってね、唇の端が、日に日に裂けていくんだ。言いたいこと、言わないからだね。そのうちリアル口裂け女になっちゃうよ。
わたしってきれい?  わたしのことどう思う?  わたしのこと好き? え? べっこう飴?  ありがとう、わたし、違う素材に生まれ変わらなきゃいけなくなったらべっこうになりたいと思ってんだ。だから助かる。カラメル。抱きしめてあげる。まあ口が裂けてるから、キスはおあずけだけどね。あ〜あ。わたしの口、裂けてなかったら良かったのに。あなたもそう思ってるでしょ?  (思って。)  ああ、わたしったら何言ってんだろ、ごめんね、さよなら。と、口裂け女はそう言って、くるりと背を向け小走りで去っていった、とかいって。なんちゃってね。

お風呂場の、鏡にうつった自分の裸が、あんまりエロくなくて、おちこ
まない。別におちこまない。

カーテンは朝になってからあけたい。










2017年1月22日日曜日

radio

部屋を片付けて、すっきりして寝て起きたら朝4時。天井におはようを言って携帯におやすみを言ったら、とつぜん、ラジオがききたくなってラジオのアプリをダウンロード、してきく。にこにこ明るく喋るきっと綺麗な女の人の声が、染み入る。部屋は静かだけど、窓の外、とかではもうなにかがはじまっているのだという気が、すごくする。それで窓をあける。何もはじまっている気配がない。まだ暗くてひんやり。はやく春にならんかな。スピーカーから聞こえてくる声の主のいるところらへんでは、すごくはじまっている、というただそれだけのことなのだろう。


「おはようございます。これからおやすみの人はおやすみなさい。」高校生のとき、テスト前だけは3時か4時か5時とかまで起きて勉強していて、3時になったらビレバンで買った、見てくれだけかっこいいけどAMしかはいらないラジオで爆笑問題の番組をきいていた。爆笑問題のふたりと、あと、おハガキ、メール、等を送ったひと、が、ずっとおもしろい話をしてるのに、わたしは勉強をする(してたっけ?)んだけど4時になりそうになるとおもしろい話はあっさり終わり、CMとかほかの番組の宣伝とかですこし機械っぽくなったあと聞こえてくる、にこにこ明るい女の人の、「おはようございます。これからおやすみの人はおやすみなさい」みたいな挨拶。これが、思いの外凄まじい記憶となっている。高校を卒業して、ビレバンで買ったラジオもこわれて、ラジオは殆どきかなくなったけど、たまにふと、ききたくなる(今夜みたいな)ときがあって、その時って、この「おはようございます。これからおやすみの人はおやすみなさい」の感じが、欲しい時なんだよなあ。はじまっていて、もうはじまりおわっておやすみするひともいて、そのどちらとも知らないけれど、はじめます、はじめます、はじまっています、みたいな、あれ、朝四時にくすぐったいんだよね。ははは。




2017年1月6日金曜日

2017


髪を切りたくて仕方がないけどどういう髪型になりたいかは分からない。これは衝動なのだろう。あけましておめでとうございます。























写真は去年見たものの些細な思い出とか。