2017年11月26日日曜日

11/21〜11/24

 十一月二十一日

東京都市部の公園を巡りたい。東京で馴染み深く好きな公園は、

立野町公園(練馬区)芝生の広場と水遊びできる池、そしてまさかの桃源郷がある。

井の頭公園(武蔵野市)青春の地

善福寺公園(杉並区)もっと若い(小学生とか)頃の思い出の地。夜行くと、鴨がベンチに座ってる。

航空公園(所沢市)埼玉だけど。ここも青春の地。

がらくた公園(練馬区)名前はひどいが、置いてあるものは全然がらくたじゃないと私は思う。なんかかわいそう。

たけした公園(練馬区)城がある。

久我山公園(杉並区)城がある。高低差がだいぶあるところにある公園で、城を下から見ると迫力があり、囚われたお姫様ごっこができそうで良い。

昭和記念公園(立川市)計り知れない可能性。


など。書ききれないや。生まれ育ったエリアがばれる。他にもいいと思った公園はいっぱいあるけど、名前がわからない。
















十一月二十二日

今日は朝から気が滅入ることがあり疲弊。ただただねこを撫でたい。ねこあたためシステムになりたい。






十一月二十三日

世の中祝日らしいけど、仕事。仕事で会った小学生の少年が、図書館で借りた本をみせてくれたんだけど、「おばけはなぜこわいか?」という章に「結局のところ人間にはおばけをこわがりたい気持ちがあるからこわがって楽しんでいる」みたいなことが書いてあり、これをおばけ本人が読んだら機嫌を損ねかねないと思った。夜は文フリ参加勢と合流。東京タワーのみえるところであそんだ。




十一月二十四日

酔っ払った勢いでニードルフェルトのなべ敷きをつくりはじめてしまい夜がおわってしまった。







11/17〜11/20

十一月十七日

中学生のときから乗ってる自転車、もう自転車であるということしか正しいことがなくて、カゴもハンドルもサドルもベルもギアもブレーキもペダルも調子が悪い。今日はカギがこわれた。もうカギが閉められない。閉めようものなら開けられなくなる。おんぼろのぼろぼろ。新しいのを買おうと思うけど、まだ乗れなくもないし、新しくしたら今の自転車は捨てなきゃいけないのかと考えると、寂しくてできない。ハンドルやギアを自転車屋さんに直してもらおうと持って行ったけど、直すのにかかるお金でまぁまぁいい自転車が買えるよと言われた。ひとまずその店に売っているぴかぴかの自転車たちをひとつひとつ見て行ったけど、どれも他人の親のようで選べなかった。ライトだけはこわれてると無灯火でつかまっちゃうから、交換してもらってあたらしくなった。




十一月十八日

部屋を模様替え。部屋が北側で冬は冷え込むので、暖かく過ごせるよう作戦を考えた。エアコンの恩恵をうけやすいところに机と布団を置き、エアコンの恩恵を受けにくいところにはホットカーペットを敷いた。物も随分捨てた。捨てられなかったのは古い日記帳やノート、昔の仕事で使った手芸材料やDIY素材など。昔作ったZINEや、ふざけて描いた漫画とかも出てきた。昔の自分は部屋が寒くてもがんばってたんだなって呆れる。社会人になってから生活にしがみつきすぎている。もっと遊んでもいいな。


↓部屋の奥から発見された塗り絵。すごい。色を塗ってる場合じゃない。










十一月十九日

部屋の模様替えをして、眠る時の枕の向きを変えたからかそわそわして眠れなかった。お日柄は良く、結婚式ラッシュ。おめでたい日だ。自分があと二人足りなかった。





十一月二十日

ホットワインをあたためすぎて地獄の池みたいになったけど、はちみつをいれるとき地獄に革命を起こしてる感じがした。でもまずかった。





11/13〜11/16

十一月十三日

ノートパソコンの熱を逃がしつつ画面の高さをもうちょっと上げるための、台、のような何かをずっと探してる。機能もデザインも良いものは値段が張るのでなかなか決められなくて、もうなんでもいいやと思って100円ショップで折りたたみ式のなんかそういうスタンドを買った。帰ってわくわくしながらパソコンのせてみたらそのままゆっくりたたまれてしまってむかついた。





十一月十四日

鶏そぼろごはんが食べたくなり作った。菜箸をたくさん持って混ぜると良い、と聞いたのでありったけの箸を持って混ぜたが気合を入れすぎたのか自分の箸折れた。そぼろは美味しくできた。





十一月十五日

自宅のエアコンを始動。扇風機を解体して押入れに幽閉。






十一月十六日

夜道を歩いていると、遠くからニャ~ンニャ~ンとネコのかわいい声が聞こえた。どこかにネコがいるみたいだぞとキョロキョロあたりを見回しながら歩いていたら、前から寝間着姿の少年とそのお母さんらしき人が同じくキョロキョロしながらやって来る。二人は「ゆず~」「おいで~」などと繰り返し言っていて、すれ違いざま私に「すみません、白いネコ見かけませんでしたか?」と聞いてきた。見掛けてはいないけど、このあたりからネコの声がきこえたことを伝えると、少年は「きっとゆずだ!」と目を輝かせて、いっそう大きな声でゆずを呼んだ。それにこたえるように、また近くでネコの声が聞こえて、3人で耳をすまして、すぐそばのテニス練習場の方からだと推測しスマホのライトで照らしたら、白いネコがフェンスの向こうにちょこんと座っていて、こっちを見つめニャンニャン鳴いていた。少年がフェンスの下から手を伸ばして救出。イエネコなんだけどついさっき脱走したらしい。速攻見つかってよかった。ねこ小大冒険。


そういえば昔、近所で迷子犬に会ったことがある。リードを引きずって歩いてたからさりげなくついて行ってリードをキャッチしたら、持ち手のところにちゃんと連絡先が書いてあったから犬と二人路頭に迷わず済んだ。電話したら近所の中学校のジャージ着た女の子が泣きながら走って迎えにきたな。あれはちょっともらい泣きしてしまった。


うちに来てたネコもそろそろ冒険を終えて、帰って来る頃かもしれないな。



11/9〜11/12

十一月九日

追い詰められて、死のう、消えようという答えに思い至るのはわかる。しぬこと、が放つ甘いにおいの輪郭が、滲みながら拡がっていくような。とろみのある憂鬱に、首から下が乗っ取られかけて、今にも委ねてしまいそうな。ありえないことじゃないと思う。人間は壊れる。でもいくら考えてもわからないのは、それでわざわざ一緒にしんでくれる人を探すこと。ひとりじゃなくて、誰かと一緒にしにたがること。だれかと、と探して選べるくらい、人に寄りかかる勇気や希望があるのにしにたがること。


九人の自殺志願者が殺害されたニュースで、まず何よりも一緒に死ぬ相手を探してる人がたくさんいることに驚いた。それから、自殺したい人を殺す人、ずいぶん余計なことをするなと思った。一緒にしんでもいいと思えるほどの人がもし本当に現れることがあれば、その人としばらく生きてから死にたい。どうしてもわからない。わからないのは私が寂しさを知らなくて、満たされているからだろうか。それもわからない。




十一月十日

写真や動画を撮ってもらうときに、表情を用意するのが苦手だ。いつもよくわからない顔で写真に写っている。それでどうしたらいいか考えたんだけど、目の前にレンズがあるとか撮影者がいるとか今この瞬間を切り取る、とかそういうことを思うのはやめるべきだ。写真は記録であるのだから、レンズよりも撮影者よりも今この瞬間よりももっと向こうの未来のことを見たい。シャッターが下りた瞬間以降、自分を含む人の目にその写真が触れる未来の瞬間をじっと見ようとしてみよう。


とかっこいいことを書いたけど、今までも写真を撮られるとき「今この瞬間を切り取る」とか思ったことないし、ただ写真を撮る時のかんじが苦手だっただけだから、とりあえず「単純に写真は楽しいから大丈夫!」と思おう。




十一月十一日

ポッキーの日だったので(?)生ビールが11円だった。

夜、凍えそうな北風に耐えかねてシャノアールに寄り、暖をとりにきたのにアイス乗ってるやつ頼んでしまった。シャノアールのクリームソーダは、さくらんぼものっていて正しい。




十一月十二日

テレビで「シン・ゴジラ」がやっていて父親と一緒に観たんだけど、はじめて劇場で観たときよりも随分とあっさり見終えてしまった。劇場で観たときはゴジラ無敵すぎて何をやっても敵わないし、絶望というかもう無理じゃん勘弁してくれみたいな、これ以上見続けることが怖くて怖くて逃げ出したい気持ちがごちゃごちゃ湧いてきたんだけど、今日は怖くなかった。まあ一回見てきちんと希望があったことを知っていたので安心できていたからかもしれないけど。あと音響のせいもあったかも。

でも決してつまらなかったわけではなくて、ビビり過ぎずにいれたおかげで前回よりも落ち着いてストーリーを追うことができた。劇場に何回も観に行った人の気持ちがやっとわかった。そして落ち着いてストーリーを追えたおかげで最後の最後のカット(劇場でみたときはとりあえずなんとかなった安心感でいまいちよくわかってなかった)がとんでもなく恐ろしいカットだということに今更気付き、結局見終わったあとにめちゃくちゃ怖くなってしまった。寝付けず。


↓さいきんの髪型と、このままいくとどうなるかの絵。





2017年11月10日金曜日

11/5〜11/8

十一月五日

仕事はやめに終わり、今週分のつくりおき食材を釈迦力になって作ったら、めちゃくちゃ疲れてしまった。父が台湾旅行から帰ってきたので、和食が食べたいだろうと思って、和食ばっかり。寝る前に、『の・ようなもの のようなもの』観た。愛溢れる森田監督オマージュで微笑ましい。


父の台湾土産の、謎の焼き物(ムツゴロウの置物的なもの。ツヤッツヤ。)をくるんでいた台湾の新聞気に入った。






十一月六日

『ブレードランナー2049』観に行った。もう何回か観ないと、何も言えない。めちゃくちゃかっこよかったが、途中でなにがなんだかわからなくなってしまって、後半は主人公に対し「とにかく、死なないようにがんばれ!!」と見守るだけの人になってしまった。しかし、今2017年で、2049年って言ったら私たぶん生きてる気するけど、ほんとあんなんになってたらどうしよう。アンドロイドの人と仲良くできるだろうか。アンドロイドの人、ちゃんと優しくて、器のでかいいいやつで、仕事もできる完璧なかんじの人だろうから、彼らもまた同じ世に暮らす同士であり、つらいことや悩みや悲しみを抱えうることをあまりリアルにイメージできずに、無意識に冷たくしそう。とか言ってそれ、正直2017年の今、生身の人間に対しておんなじことしてる気するけどな。でも大丈夫、みんなアンドロイドだったらいいのに、とかはまだ思ってません。気をつけよう。




十一月七日

一日中走り回っていたので、疲れた。なんか落ち着かない変な日だった。駅で、ハトが愛していた。




十一月八日

職場の前に思いっきり犬のフン放置されてたから、掃除してたら鳥のフンくらった。こうして一文にまとめるとなんかものすごく収まりの良いネタのように見えるけど、生きていてこんな納得のいかない気分になることそんな無いよ。まじでない。どうしてそんなことになるんだよ。仕事してるとき基本ひとりだから、誰かにその場で笑ったり慰めたりしてもらうこともなく、ドラッグストアにシャンプー買いに行ってなんとかしたけど、こんな行き場がありすぎて逆に行き場の無い怒り、そうそう無いよ。とにかく納得がいかない。犬、鳥、人間、みんな間違っている。仕事の作業色々やろうと思ってたけど、戦意消失してさっさと上がって遊びにいった。でもそのあとすごいいい事あった。この夜めちゃくちゃジャンケンがつよくて、ジャンケンバトルに勝ち抜いて好きな作家さんに絵と文を描いてもらった。でもウンがついたおかげだなんてミジンコの足先ほども思っていません。かわいいジャンケンのネックレスをつけていたので、ジャンケン強かっただけです。おわり。




2017年11月5日日曜日

10/29〜11/4

十月二十九日


昨日は後ろ髪ひかれつつ昼の新幹線で東京に戻る。また台風が来ているらしく、どこを通っているときも雨が降っていた。夜は学生時代の友達と久しぶりに飲んだ。充実した休日だった。今日からまた仕事。旅行に興味のない人生を送ってきたのだけれど、たまになんにも知らないところに行くのもいいなあと今は思っている。また旅に出たいので、いつもの東京での日々を懸命に送る。



十月三十日

台風は夜のうちそそくさと去ったらしいが風が強い。空気もいきなり乾燥してきて喉が痛い。ロング丈のコートを着てマスクをしていたら図らずしも口裂け女のコスプレをしている人みたいになっている。写真は京都で買った飴。詰め合わせみたいなやつで、べっこう飴がひとつ入っていた。口裂け女自爆。



十月三十一日

ハロウィン昨日かと思っていたら今日だった。やはり朝体調が思わしくなくげんなり。定期入れを忘れたし、服も、昨日の反省を生かして口裂け女っぽさにだけ気をつけあとは適当に選んだのでひどい組み合わせで、今日は完全に趣味の悪い人のコスプレになってしまった。コーディネート以前に、ユニクロの涼しいキャミソール(エアリズムとかいうやつ)の上にヒートテックをきているのも問題だ。はやく帰って寝たい。



十一月一日

「十一月一日」顔文字みたいだ。 十一月だ。めっきり寒い。冬がきた。まだ暗いうちに家を出たけど息が白かった。体調が悪いのは花粉かと思っていたが、急に寒くなって風邪ひいただけみたいだ。たぶん今日は熱がある。熱があると口が緩むのか独り言が多くなる。「何故こんな目に……。」みたいなことを六回位言った。まだ帰れないのだが何かしていないとダウンしてしまいそうなので先に日記を書いている。明日以降の日記も書いちゃおうかな。秋の爪にした。



十一月二日


風邪治らず、全力の鼻声で仕事。恥ずかしい。やっと帰れても寝苦しく、アマゾンプライムで熊切和嘉監督の『私の男』鑑賞。原作を読んだときはこんな話信じられない、こんな愛はないと思ったが、映像で見たらあっさりと、そういう愛や執着もあるのだろうと思った。小説だから/映画だから ではなく、単純に自分が変わっただけかもしれないけど。

 主演の浅野忠信さん、二階堂ふみさんのすばらしさはもちろんのこと、高良健吾さんがいきなり出てきて嬉しかった。高良健吾さんは、私が思うところの日本人で最も美しくかっこいい好きな顔。あと、流氷って見てみたいな。



十一月三日


休みだが一日寝込んでいた。天気も良かったのに。今日は岩井俊二監督『リップヴァンウィンクルの花嫁』をアマゾンで見る。とても良かった。何をもって生きるか。どんな風に死ぬか。お金に、対価として何をもたらされることを望むか。友達になることと、家族になること。友達であることと、家族であること。こうして書いて並べるとシンプルでありふれた、でも生きていて考えないことはできないテーマについて、とても誠実に、美しいモチーフで描かれていたと思う。

 夜は起き上がって、作りかけだったイヤリングを完成させた。



十一月四日


熱は下がったが、咳がとまらなくてたまに死ぬかと思う瞬間がある。蚤の市に行きたかったけど、断念。夜やっと外に出た。月がずいぶん光っていた。ばけねこ(つちねこ)のおもちゃを貰った。ねこってたまにほんとにつちのこみたいになってる時あるよ。




10/27〜10/28 《京都特別号》

十月二十七日
十月二十八日

新幹線で憧れの街、京都へ。






























自分にゆかりのない場所で必ずまた来たいと思ったのは初めてかもしれない。また来たい。