2017年11月26日日曜日

11/9〜11/12

十一月九日

追い詰められて、死のう、消えようという答えに思い至るのはわかる。しぬこと、が放つ甘いにおいの輪郭が、滲みながら拡がっていくような。とろみのある憂鬱に、首から下が乗っ取られかけて、今にも委ねてしまいそうな。ありえないことじゃないと思う。人間は壊れる。でもいくら考えてもわからないのは、それでわざわざ一緒にしんでくれる人を探すこと。ひとりじゃなくて、誰かと一緒にしにたがること。だれかと、と探して選べるくらい、人に寄りかかる勇気や希望があるのにしにたがること。


九人の自殺志願者が殺害されたニュースで、まず何よりも一緒に死ぬ相手を探してる人がたくさんいることに驚いた。それから、自殺したい人を殺す人、ずいぶん余計なことをするなと思った。一緒にしんでもいいと思えるほどの人がもし本当に現れることがあれば、その人としばらく生きてから死にたい。どうしてもわからない。わからないのは私が寂しさを知らなくて、満たされているからだろうか。それもわからない。




十一月十日

写真や動画を撮ってもらうときに、表情を用意するのが苦手だ。いつもよくわからない顔で写真に写っている。それでどうしたらいいか考えたんだけど、目の前にレンズがあるとか撮影者がいるとか今この瞬間を切り取る、とかそういうことを思うのはやめるべきだ。写真は記録であるのだから、レンズよりも撮影者よりも今この瞬間よりももっと向こうの未来のことを見たい。シャッターが下りた瞬間以降、自分を含む人の目にその写真が触れる未来の瞬間をじっと見ようとしてみよう。


とかっこいいことを書いたけど、今までも写真を撮られるとき「今この瞬間を切り取る」とか思ったことないし、ただ写真を撮る時のかんじが苦手だっただけだから、とりあえず「単純に写真は楽しいから大丈夫!」と思おう。




十一月十一日

ポッキーの日だったので(?)生ビールが11円だった。

夜、凍えそうな北風に耐えかねてシャノアールに寄り、暖をとりにきたのにアイス乗ってるやつ頼んでしまった。シャノアールのクリームソーダは、さくらんぼものっていて正しい。




十一月十二日

テレビで「シン・ゴジラ」がやっていて父親と一緒に観たんだけど、はじめて劇場で観たときよりも随分とあっさり見終えてしまった。劇場で観たときはゴジラ無敵すぎて何をやっても敵わないし、絶望というかもう無理じゃん勘弁してくれみたいな、これ以上見続けることが怖くて怖くて逃げ出したい気持ちがごちゃごちゃ湧いてきたんだけど、今日は怖くなかった。まあ一回見てきちんと希望があったことを知っていたので安心できていたからかもしれないけど。あと音響のせいもあったかも。

でも決してつまらなかったわけではなくて、ビビり過ぎずにいれたおかげで前回よりも落ち着いてストーリーを追うことができた。劇場に何回も観に行った人の気持ちがやっとわかった。そして落ち着いてストーリーを追えたおかげで最後の最後のカット(劇場でみたときはとりあえずなんとかなった安心感でいまいちよくわかってなかった)がとんでもなく恐ろしいカットだということに今更気付き、結局見終わったあとにめちゃくちゃ怖くなってしまった。寝付けず。


↓さいきんの髪型と、このままいくとどうなるかの絵。





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