九月二十七日
日記のようなものを再開。九月が超特急通過、みたいなかんじで終わろうとしている。
九月二十八日
夏は「下駄を普段使いする」というちょっとした生活目標があり、実際下駄を普段履きしてすごくいい気分だったので、冬も何かそういう生活目標を考えようと思ってる。何がいいかな。ちなみに友達に案を募ってみたら「ウォッカ等の強い酒の小瓶を持ち歩く」というのを提案された。どうなんだろう。
九月二十九日
思わぬ連休となったので弾丸で京都でも行こうとしたが、紅葉もまだだしいくつかの約束もあったので、また今度にして東京にいる。せっかく休みなので動物園に行ったら、すごくしょんぼりしているテナガザルがいた。何があったか知るよしもないけれど、帰ってからもずっと気になっている。心配。そんな顔するのか。
九月三十日
近頃は詠む短歌すべてが「夏が終わるのが寂しい」みたいなものばかりで、もう九月も終わるというのに往生際が悪いって。短い秋を楽しんだ方が絶対に良いのはわかっているんだけど、やっぱり夏が恋しい。なんなんだろう夏のあの、ゼリーの中に住んでいるみたいな幻のかんじは。
往生際がわるいので、夜に少しだけ余ってた花火をした。夜はもう露骨に寒くて、もうここはゼリーの中ではない。夏はおしまい。あしたから、十月。
十月一日
枯れた曼珠沙華を見ると火をつけたくなってしまう。毎年、ちょうど彼岸の時期に急に咲く姿は発火を思わせる。萎れていく様もまるで燃え尽きていくようだ。もしもう一度火をつけたら、再現映像みたいにまた早々と燃え尽きるのだろう。
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