2016年11月29日火曜日

いつも乗る電車のシートは、青くて、7人分に区切られていて、すこしふかふかだ。冬は、あたたかい。まずそうなパンみたいだ。それに座りたいから、各駅停車にのる。わたしの降りない駅では、ぱらぱらと人が出て行ったあとに、扉がずいぶんと力強く、ぴしゃりと、閉じる。毎回毎回、それをやる。さっきまで隣や斜め前や後ろにいた人とは、ぱちんぱちんと分けられていくね、夜。


この間たまたま帰り道が一緒で、同じ電車に居合わせた友達は、随分と久々に会う友達だった。でも昔のことよりも、最近のこと、そしてこれから先のことを、青いシートに隣どうし座って、色々と話し込んだ。仕事がどうだとか、そろそろ結婚しなきゃなとか、歳の近い友達と話すと、最近はいつもそんなんばっかだ。昔あの時朝まで飲んで店を出た時の朝焼けが綺麗だったねとか、懐かしいねとかもはや、話さない。いちいち蒸し返してなにかをえぐり合うほど、親密な仲ではなくなってしまったのかもしれないし、昔よりもずっとずっと今とかこれからを優先すべきなんだよって、分かっちゃったからかもしれない。


とはいえそう簡単に明るい未来を手に入れられなさそうなわたしたちは、これからの人生はどうなるんだろうねえ、なんとかしなくちゃねえ、みたいなことを言い合いながら、青いシートに背中を預けていた。そのときの友達の、半径1mの空間をキョロキョロと見ているような、もっと、電車の窓の向こうの、遠いところを眺めているような瞳を、わたしはどうしてか忘れることができない。友達は先に電車を降り、扉はぴしゃりと閉じ、わたしたちはまたぱちんと区切られ、あああああ、わたしはあの子と、またいつか会えるかなあ、あの子には、ずっと笑っていてほしいなあと、考える。

友達の目。見覚えがある。あの頃のあの子とも、こうしてしみじみと話をしたことがあるなあ。そのときもあの子は、ああいう目をしていたなあ、と。


あの頃のあの子に、あの頃のわたしがもう一度逢えたら。


そういうことを考えてしまうから、わたしはわたしの降りるべき駅で、電車を降り損ねてしまう。丸くなっていくわたしの目と、なじるように、諭すように、ゆっくりとやさしく閉じる扉、あたたかく沈んでゆくまずそうなパン、戻れない時間たちよ。

2016年11月16日水曜日

風吹かせたの誰ですか、雨戸がカタカタキイキイ、居ても立っても居られないようすで鳴るので、どこまでが風の仕業で、どこまでが心霊現象だか見分けがつきません。でも、どさくさにまぎれてそういうことする幽霊、私は嫌いじゃないんだよね。なんとかして辻褄を、合わせようとしてるかんじがするよね。私、論理的な思考とか全くできないけど、とにかくずっと、辻褄を合わせようと頑張って生きてるんだよ。だから、そういうなんとしてでも全部を叶えようとする姿勢を責められないな。

それにしてもまいったなあもうずっと辻褄が合わなくて。嘘を嘘でごまかすみたいにして、しんどいを冗談でごまかして、どんどんめちゃくちゃになっていく。
兎にも角にも、風がつよくふいている。冬がぶつかってくる。やだなあ。寒いのほんと嫌い。大嫌い。嫌い。嫌いだ。大嫌い。大嫌い。嫌い嫌い嫌い。ごめん途中から、嫌いって言いたいだけだったよ。冬とか寒いのとかじゃなくて。嫌い。

話が進まねえなあ。
月の話がしたかった。風がつよくふいているから、雲とか星とかぜんぶどっか飛ばされて、月がまんまる明るいです。きのうはスーパームーンだったらしいが、スーパー雨だったので見えなかった。風吹かすのなんできのうじゃなかったの?ぜんぶとっぱらってくれよ。頼む。おやすみ。







2016年10月13日木曜日

オリオンが絡まる

バスに乗って青梅街道を走っている。
混雑したバスの中は守られているようになまあたたかい。おじさん達のスーツのジャケットの微かな毛羽立ち、ななめ前の席に座っている女性のファンデーションの浮き、降車口付近にいる学生と思しき女の子達の、高く巻きあがるような喋り方。終わろうとする1日、その終わりにむけてゆっくりとささくれ立つような蒸気で、このバスは満たされている。
わたしは後ろから二番目の二人掛けのシートに深く腰を掛けていた。窓から微かに伝わってくる冷気のようなもので、左側の頬がどんどん冷たくなっていくような気がする。このまま窓の外に目をやろうものなら、すぐに何か見たくもないものが目に飛びこんできそうだ。わたしは結んでいた髪をほどき、下を向いて出来るだけ身体を縮こめた。

最近の専らの悩みはオリオン座のことである。
どれだけ走ってもオリオン座が追いかけてきて、からだに絡まってしまう。バスの中に紛れているとよく分からないのだが、どうせ今も追いかけられているのだろう。

だいたい区境のあたりでわたしはバスを降りる。降りてすぐに歩道橋の階段をかけあがる。そして歩道橋の真ん中あたりでやはり、オリオン座と目が合ってしまった。追いつかれているというか、もうくっついてしまってるようなものなのかもしれない。黄色く染まりかけた銀杏並木が笑っている。さっきまで自分が乗っていたバスは、勿体振るかのように遠のいていった。歩道橋の真ん中で、わたしはオリオンと対峙する。ああこの時が来たなあ、と、毎度思う。それでもなるべく気にしないようにして、わたしは歩道橋を渡る。オリオン座はゆっくりと、さりげなく、でも確実に、わたしに絡まりついてくる。

オリオン座はひやっとしてるので、正直肌に触れるたび飛び上がりそうになる。
でも、飛び上がったら終わりだと知っているので仕方なく耐える。飛び上がろうものならそのまま冬空の星にされてしまう。取り込まれてしまう。まあ人生それも有りっちゃ有りかなあとは思うんだけど、取り込まれたところで何千年とか何万年とか経ないと輝いたり瞬いたりはできないらしいから圧倒的に損だ。地に足つけて、オリオン絡めて生きていたほうがいい。

歩く。心なしか背中がこわばるような感覚がある。まあ、絡まってるんだからしょうがないのか。でもなあ、ちょっと疲れる。背骨を気にしながら、青梅街道沿いを歩く。ずっと、ずっと私はそうしてきた。だからよく分かっている。今、ここで空を見上げれば、そこにオリオン座が寝そべっているということを。わたしのからだに絡まった事どころか、触れた事もないような顔をして、夜空に堂々とした姿で君臨し、こちらを見ているんだか、見ていないんだか、何考えてるんんだか分からないようなきらめきで、遠い空に浮かんでいるということを。そしてどういうわけか、そうやって見上げている間は、背中も、心も軽々しく、何もかもを許せるような気持ちになってしまうということも。







今日、鈴虫とかの鳴き声、小さくない?
ていうか、少なくない?

冬になってきた。
嫌だな。

2016年8月12日金曜日

のろわれました

体調を崩して、というか急性胃腸炎というのになって数日寝込んでいた。
仕事中に突然まるでだめになり、「止まったら殺される」とよくわからない精神論をつぶやきながらいつになくハイペースで仕事をこなしてなんとかその日1日は凌いだ。しかし翌日出社して同じ作戦を使おうとしたらまるで無効で、「止まったら殺される」とつぶやきながら止まってしまう始末だった。出社して3時間で早退した。

仕事をがんばれなかった私の頭皮を八月の太陽がジジジと焦がしていくのを感じながら、病院までとぼとぼ歩く。きっとずっと不機嫌な顔をしていたと思う。正午近くの夏の住宅街にはまぶしいまぶしい日向しかない!お盆前でどこの病院もかなり混んでいて、且つ丁度午前中の診療が終わるギリギリの時間だったからか2軒断られた。身体の芯から主張してくる痛みや怠さを、頭皮から、首筋から、腕から、日差しでジリジリと炙って閉じ込めてしまっている気がしてくる。それでも意地になって歩く。気温が36度近くあるらしいが、こっちの体温の方がお前らより相当高いぞと思っていた。

1時間位彷徨い歩いてやっと診てもらえた病院での診察は僅か2分くらいだった。先生めちゃくちゃ冷たい。はやく午前の診療終わらせたかったのかな。そこから家に帰るまでの記憶が無い。ファミマでスポーツドリンクを買ったようだった。薬もちゃんと取りにいったようだった。気付いたら畳んである布団の上でちゃんと着替えた上で寝ていて、夕方だった。

熱を計ったら40度近くあってびっくりした。もはや手が震える。ここ数年、ちょっとした風邪をひく事はあってもここまでくたばることは無かったので、高熱でるとこんな最悪な気分になるんだ…とうんざりした。その後2日くらいうんざりし続け、今はもう熱も胃腸炎の諸症状も収まったのだが、なぜか関節の痛みだけが残り、夜も眠れないほどだったので、今日は整形外科にいった。

今回はお盆でも断られないであろう朝イチの時間を選び、きちんと電話でこれから行く旨を伝えてから出向いた。同じ魂胆の人間がけっこういたが、そこまで待たずに診察室によばれた。「つい先日体調崩してからずっと関節がいたいんですよ〜」と先生に事情を説明すると「熱中症?」といわれ、「いや、急性胃腸炎でした」と伝えたものの、色々診てもらった末に「熱中症の後遺症である可能性が高い。熱中症でもあったのでは」という結論が出た。信じられないけどそのあと熱中症について調べたら身に覚えがありすぎて鳥肌が立った。
多分、早退した日に病院を求め彷徨い歩きすぎたのだろう。

熱中症の後遺症である関節痛は1〜2週間続くことがあるらしい。もはや呪いである。胃腸炎を受け止めるのでいっぱいいっぱいだった私に最後まで気付かれなかったくせに、置き土産が重すぎる。ひどい。熱中症怖いです。腰と腰から下が全部痛い。

2016年6月23日木曜日

いいことがない

信号待ち通りすぎる選挙カーから「おねがいだから消えてください」ときこえたきがしたまわりを見ると信号まちの人間みなからだの三分の二くらい透明になっていた例にもれず私も。

2016年6月10日金曜日

エンドレスサマ

最初の夏がくる。夏の気配と、夕方にすれ違いました。きのうは、会社からかえるときに。おとといは、真昼の渋谷で。来週末くらいには、朝玄関の外に立っているのであろう。夏がくるとかなしくなることに、1年ちかくたって気付いた。同じ、匂いがするからである。きのうの朝、その気配と出くわしたときも悲しさが、くすぐられて、私はがまんしたが、結局、がまんできなくて笑った。夏は、夏で、夏の夏である。でも大丈夫!夏はかならずおわる。でも大丈夫じゃない!夏は、また来る!エンドレスサマー!終わらない夏!終わらない夏の呪い!呪いのように終わらない夏!

電話

最近休日に家にいることが多い。気温も高くなってきたので、窓をあけて部屋で、過ごしていると、近所のひとんちの電話が鳴ってるのがよくきこえてくる。しかしその近所の人は、まじでぜんぜん電話をとらない!  電話は、それでもずっとなっている。設定がおかしいのか、プルルルル、プルルルル、の「、」の部分、つまり、プルルルルとプルルルルの間隔が、感覚的にというか、わたしの都合よりちょっと長くて、いつも「あっ今日すぐ出た!」と思うや否や裏切られる。プルルルル、    プルルルルル、     プルルルル、      とな。やめてほしい。
プルルルルルルルルルルルルルルルルルルプルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル、くらいに、しといたら良いんじゃないか?と、思う。もっと、けたたましく。けたたましいよりももっと、けたたたたましくしてほしい。何故なら、その近所の人は、最終的にかなり鳴らした末にちゃんと電話に出るのである。なぁんだ、留守かと思った、とでも電話口のひとに言われているのだろう(まったく同感である)その人は、あまったるい?否、舌ベロがすごい長い女のひとがそれを人に見せているときの、見せものにされているすごい長い舌ベロ、の動き、みたいな声で、ごメぇえン、と言う。そういう大変そうな喋り方なのに、すごいよく喋って、たまに鼻歌とかも、電話中なのに歌って、1時間くらいして、終わる。黙るとか、静かになるとかいうよりも、それは、終わるのである。ねちゃうのかな?わかんないけど。ちなみに女の人です。30前半くらいの可愛いひとなのかなぁと思うけど、恐らく、会ったことはない。同じく同じマンションにすんでいる人だとおもうんだけど、案外、おばさんなのかなぁ!?まあ、なんでもいい。

2016年4月3日日曜日

ひとりごと

きょう電車の中に、独り言なのかこっちに話しかけてるのか、よくわからないけど隣でこっち向いてずっと愚痴のようなことを喋ってくるおじさんがいた。 
怖いし、聞いてやる義理もないと思い必死で無視していたが、どうにも聞こえてきてしまうのが憎たらしい。しかもおじさんの言ってることはめちゃくちゃで、「いやぁ、3時から6時までサービス残業させられたよ、2時間もだよ?!こっちはボランティアじゃないっつうのにな。参っちゃうよな〜」とか言っていて、それは、素でまちがえてるのか、リアクションほしさにつっこみどころを残してるのかなんなのか、意味がわからない。まったく掴めず、うるさいし、どうしたらいいかわからないし、そこまで文句言ってるのに1時間短く勘違いしてるの随分おめでたくない?!とも思ってかなりもやもやした。その上、事情を知らない他の乗客が、隣で親しげに女に話しかけてるのに全力で無視されてるおじさんと、親しげな距離にいるひとを完全無視してる女を交互に見比べて目をまるくしたりしてるので、全然落ち着かない。もういっそ無視をきめこむのをやめて、なんかしらのつっこみというか、注意をしたほうがよいのではないかと考えたが、残念ながらおじさんは、いざ口をはさむ隙もないくらいずっと1人で喋る喋るしゃべり続ける。
仕方がないのでもう諦めて心を無にし、ねこ画像とかを検索して見ていたが、おじさんはそれに気付いたのか、「猫!猫はね、臭いんだよ。俺んちの裏の桜、あそこの植え込みあるじゃん。あそこに糞尿を垂れ流すんだよ」といってきて、わたしの心は折れ、おまえんちの裏の植え込みの存在とかしらねえよ、と思いながらさすがに席を移動。少ししてちらっと見たらめちゃくちゃ迷惑そうな顔をされてしまい、いよいよわけがわからなかった。

世の中いろいろな人がいるので、べつになんだというわけではないのだが、あまりにも微妙な出来事だったなあという、わたくしのひとりごと。






2016年3月19日土曜日

おこられねこ

民家の軒先から、猫の喧嘩のような声が聞こえてきた。
見ると、黒猫が茶トラに説教されていた。茶トラがアウアウ怒り続ける中、黒猫は人でいうところの土下座のような格好をして黙っている。
喧嘩かと思って野次馬な気持ちで覗いてみたものの、実際はいかにもな説教シーンだったので「あっ…みてはいけない場面をみてしまった…」という気持ちになり、なんとなく黒猫に悪い気がして私は立ち去ろうとした。
しかしふとまわりを見ると私以外にも何人かの人が目を丸くして立ち止まり猫の説教シーンをみつめているではないか。ニヤニヤしながら見てるおじさんとかもいたし、私は「みんな見てるじゃん」と思い直してその人達ともうしばらく野次馬を続けた。
茶トラはブチ切れているわけではなかったが、あくまで冷静に、感情的になりすぎずに言うべきことは言う、みたいな怒り方に見えた。手も出さない。でもけっこうしつこい様子で、なにか言いたげなのをこらえながら頭を下げ続ける黒猫が不憫だった。人間界でもこういうことあるよ、負けないで、と思いながら見守った。まわりの人も同じ気持ちだったのではないかと思う。
しばらくすると怒っていた茶トラが急にフラフラ歩き出し、のびをしてそのへんにダラっと横になった。気が済んだのだろうか。土下座の姿勢を保っていた黒猫は立ち上がり硬直し、しばらく茶トラをみていたが、茶トラが黒猫のほうを一瞥しなにも言わずにあくびして眠り始めたのを見るととぼとぼ歩いてどこかへいってしまった。
その背中は悲壮感に満ちあふれており、落ち込んでいるのが見てとれるようだったので、私の隣でみていたおばさんは「あらまぁ…帰るところがあるのかしら」と頬に手をあててつぶやき、その場を去っていった。また、説教中の猫らにいちばん近いところで様子を見ていた中学生くらいの少年は、「寝たし」と失笑して近くの自転車にまたがり去っていった。わざわざ自転車停めてみていたのかよと思った。他の野次馬たちもぱらぱらと散っていったが、みんなどことなく曇った表情だった。ニヤニヤしながらみていたおじさんだけが、最後茶トラに近付いていき、「猫も世直し、大変やの」とかなんとか話しかけて無視されていた。土曜日の西荻窪。

2016年3月16日水曜日

3:32

起きた。夜中に目覚めてしまうことが最近は多い。窓を開けるとふしぎである。夜中なのかなんなのか、しずかなのにどこか騒がしい。「動」を感じる。ゴゴゴゴ、ぞわぞわ、とうごめく。何かが。風ではない。風もあるが、むしろ、空気そのもの。窓の外の空気の粒、ひとつぶひとつぶがそれぞれ、うごめいているかんじがある。

窓を閉める。部屋はしずかである。じぶんと、シーツと、掛け布団のこすれる音だけがする。気分転換に音楽をかけた。それでも部屋はしずかであった。空気は和やかである。

朝がきたら私は躊躇することもなく、ざわざわと騒がしい窓の外へ出て行くのだろう。いまそれを考えるとぞっとする。そういえば真冬は逆に、窓の外の空気が凍らされたかのようにぴしゃりと締まっていて、ほんの少しの動きも感じられなかった。そして同じように、部屋でふとんに潜りながら、朝がきたらあのぴしゃりとしたところにわたしが行くのかと、ぞっとしたのであった。

春めきがうごめきだしている。否が応でもそのうち桜が咲くのだろう。母が病気ながらも元気だった頃、桜の季節のたびに「これが最後かしら、」なんて言いながらよく車で近場に見に行った。風が色とりどりに透けてみえて、空気の粒ははしゃいでいて、オーガンジーのスカートが翻るような、賑やかだったあの日々と、同じ季節がまた訪れる。

思えば去年の夏の終わりは、ずいぶんと静かであったし、秋も、静かであった。今日の窓の外のような空気のうごめきは、まったくといってよい程、無かった。冬も、やっぱりしんとしていた。止まっていたのだろうし、止めていたのだろう。だけど、もう、そうはいかないみたいだ。空気はもぞもぞとうごめいて、ふくらんで、パパンと鳴って花びらが舞う。



(冬物をひとつもしまわないまま春物の服を出して、さらに少し買い足してしまった。部屋が服だらけになって、旅行の支度中のよう。)




2016年3月8日火曜日

梅の匂

ついこのあいだまであんなにつめたかった、氷でできた針のようだった雨が、昨日はずいぶんやさしく、肩や頬に降り注いで、夜の空気に靄をかける。もやのなかを歩いていると、ふと、ポッとなにかが香って、わたしは立ち止まった。匂い立つのは梅であろう。そう思って、あたりをくるりと見回すが、そこには、靄のかかった街並みがあるのみで、梅はなし。やさしい雨粒が、梅の花弁をトンと叩いて匂い立たせるのであろう思ったが、ちがったのか。それとも靄がかかりすぎて、梅がみえなくなっているのか。よくわからなくて、わたしは梅の匂まじりの靄を肺にいっぱい吸い込んで、なにもかもうやむやのもやもやのまま、また靄のまちを歩きます。








(このあいだのチューリップはちょっと開きすぎてしまった)

2016年3月6日日曜日

花風

吉祥寺の花屋で花を選んでいると制服姿にマフラーをくるりと巻いた女子高生たちがきてわちゃわちゃとなにか話し合うのが見えた。明日の卒業式で部活の先輩に渡す花を選びにきた様子だった。

花屋は駅ビルの1階にあり、正面のエスカレーターを上がるともう1軒別の花屋がある。
自分が吉祥寺で花を買うときはだいたいその2軒を見比べ、エスカレーターを上がったり下がったりしながら花を選ぶ。駅ビルを離れ街にでれば他のもう少し安い花屋もあるのだが、いつもその2軒を行ったり来たりしてして買う。なぜだかははっきりわからないが、昔からそうしてるから、吉祥寺で花を買うということは私にとってそういうことになってるのだと思う。

例に漏れず今日も私はそうしていて、居合わせた女子高生たちもまた、そうしているようだった。両方の花屋で、またはエスカレーターで、私は彼女らと何度も出くわし、すれ違った。お互いに何往復もしているようすだ。

ふたつの花屋は価格帯もほぼ同じだが、やはり微妙に値段が違ったり、花の種類や色もすこし異なっている。とはいえどの店で売られようと花はみなうつくしく、目移りするのは仕方ない。例えば予算が決まっていて、その予算内で、すこしでもうつくしい、気持ちのこもった花選びをしようとすると、やっぱりすごく悩ましい。女子高生たちもそれで悩んでいるようだった。

「このピンクのバラ、ちょっと高いけど先輩たちのイメージはやっぱこのピンクなんだよね、でもこれだと予算的に1本だよね」「それなら、ちょっと違うかんじのピンクだけどあっちの店のチューリップ2本にするほうが喜ぶかな?」

私がエスカレーターを登るとき、彼女らは降りて行き、私がエスカレーターで降りるとき、彼女らが登っていくときが何度かあった。すれ違う度に彼女らのそんな跳ね回るような会話がきこえて、あの人たちもずっとああやって悩んでるんだと思った。彼女らに心から共感し、行き交うたびになにかが交わっていくようにも思えた。

身に覚えがある。同じ記憶がある。そういえば私も高2のおわりの春、全くおなじことをしていたのだった。先輩の卒業式で渡す花を、予備校帰りにここで選んで…エスカレーターを登ったり降りたりしながら悩んで悩んで…。

結局どっちの店で、なんの花を選んだのだったか、今となってははっきり覚えていないが、あのときのことを、あのときの風の匂いごと、気がつけば思い返していた。ローファーを履いていて、マフラーを巻いていて、スカートは短くて、ブレザーの袖からカーディガンの袖を出して握っていた。先輩たちと会うのも明日で最後か、でもOBOGとかいって春休みとかには部活来るんだろうなあ、なんて思っていて、それでもお花を選ぶのに、先輩たちのことを考えると、卒業していなくなっちゃうのがやっぱり寂しかった。あとその時はまだ写メとかあんまり撮らなくて、インスタントカメラを帰りに2つくらいコンビニで買った。まだ風がつめたくて、でも明らかに春の高ぶった気流を感じていた。弾けとぶような質感の記憶である。

たしか誰かのために花を選んで買ったのはこの時が初めてだったように思う。となると、こうしてエスカレーターを登ったり降りたりして花をえらぶようになったのもその時からのことなんだな。すこししみじみして、女子高生たちが先輩に渡す花をチューリップに決めて買うのを見ていた。あのひとたちののこり1年の高校生活が、花々のようにうつくしく瑞々しい青春の物語でありますように。



(そしてわたしも真似てチューリップを買いました)




2016年2月26日金曜日

ヘア・ブラシ

半月ほど前に百円均一で買ったばかりのヘア・ブラシが早速壊れた。髪を梳かしているとブラシの毛自体がごそっとぬけてしまう。百円だし仕方ないとはいえ、ヘア・ブラシともあろうものがそそくさと禿げるなんて。あんまりだわ。気持ちがざわざわするわ。ざわざわするのでわたしは新しくちょっといいヘア・ブラシを買ったのです。ブラシにしては高かったがかなり、ちゃんとしていて、使ううちに髪質がよくなっていく気がしている。こういうものをコストパフォーマンスが良い、というのでしょう。半年で自ら率先してはげちらかしていくヘア・ブラシはコストパフォーマンスが悪い。縁起も悪い。あいつは一体なんだったのだ。ちょっと奮発してでも始めからきちんとしたものを買うべきだった。そうしていればわたしの髪は今頃もっとサラサラだったかもしれない。それがなくとも縁起でもないブラシにあんなにざわざわすることはなかった。心からそう思う。心から、そうは思うが、でもやっぱりいいやつを買ってもちょっとはざわざわすることがあって、それは、その素敵なヘア・ブラシを買うにあたり「素敵なヘア・ブラシ用のブラシ」を同時購入させられたことだ。いくら素敵なヘア・ブラシでも使っていくうちにホコリがついたり髪が絡まったり毛並みが乱れたりするので、それらをヘア・ブラシ用ブラシで梳いて整えるんだと。そりゃあもう、どんなにいい物だって物なのだから、劣化はあるし、それでもメンテナンスをして長くつかえるなら、それはそうするべきなのだ。だけれども、ヘア・ブラシをメンテナンスする道具がまたブラシだというのは、正直、ヘア・ブラシのくせに率先してはげてしまうのと似たような衝撃が、ある。要は、わたしの髪の毛を梳かすおまえもまた毛なのだね、ということだ。まったくもって望んでいないのに、魂のある近しい存在として重ねてしまう衝動だ。おまえは物であってほしい。あくまでわたしの髪を梳かすものであってほしいのに、おまえはおまえはおまえはおまえはおまえは…と、もうもはや「おまえ」と誰かいるかのように言ってしまうことに、ざわつきを抑えられず失笑してしまう。そのうち名前でもつけてしまうかもしれない。あんまり気味がよくないよな。


2016年2月16日火曜日

愛と平和の使者

先日庭に二匹の鳩が飛来し、仲睦まじく愛の巣をつくりはじめる、という出来事があった。

鳩の日常生活、ましてやカップルの同棲のようすなんてそうそう見られるものではない。面白くて、ついついチラチラ見てしまう。

しばらく観察していると、一羽はずっと建築予定地にてお留守番をしていて、もう一羽が家を作るための資材を探しにいく担当なのだということに気付く。
資材調達担当のほうはかなり張り切ったようすで飛び立ち、また張り切った顔で小枝をくわえて戻ってくるのだが、時々どの木に家を作ることにしたかわかんなくなってしまうらしい。持ってきた枝を一旦置いて庭を不安げにうろうろしたり、焦ったようすでキョロキョロしていたりする。こちらとしては戻るべき木もマーク済みなので、つい声をかけてそっちそっち!と指を指したりなんかしてしまうし、留守番中のもう一羽もやっぱりクルック〜と鳴いたりバタバタしたりして場所をアピールしていた。やがて再会した彼らはなんやかんやちちくりあいながら枝をいっぽんセットし、ややあって再び資材調達担当が出掛けていく。

そういった微笑ましい光景をニヤニヤしながら観察できるのは彼らが平和の象徴であるようにとても和やかで幸福であった。愛とは果たしてなんであるかなどとぼんやり考えこむことが時よりあるが、ここに育まれる愛をみているような気がしていた。鳩はそのへんの公園とかで相当の数、結構な頻度で見かけるのでなんら珍しい存在ではないが、公園で見ていたのは鳩個人ではなく、鳩の社会に過ぎない。鳩にも、鳩個人としての側面、鳩プライベートがあることを、わたしはこれまで想像したこともなかった。
鳩も、世にまみれて暮らしていた。世にまみれて、ふたりが出会って恋をして、ほかのだれにも見つからないところで、たったふたりで、ひっそりと、おうちを作って暮らそうとする。幸せになろうとする。

彼ら鳩カップルのそんな姿を目の当たりにすると、もう彼らがただの鳩には思えなくなった。となりに引っ越してきた新婚さん、うちは大家さん、くらいに思えてくる。

新婚さん、いらっしゃい。
新婚さん、このへんのことでわからないことがあったら、なんでもおばさんに聞いてね。
若いおふたりだから、まだまだ困ることもおありでしょう。
ご近所なんだから、助け合ってあたりまえよ。

そんなふうに明るく言い放てる感じのいい大家的存在にわたしがなれたらよかったのだが、基本的にご近所付き合いが苦手なタチである。付き合い自体は嫌ではないが、距離の取り方にこまる。良好な関係でいたい。困ったら助け合える関係を築きたい。でも先に挙げたようなことをえらそうに言ってお節介おばさんと思われたらどうしよう、だなんて思ってしまう。

実際、既に先ほど資材調達担当の鳩が戻る木わかんなくなったっぽかったとき、「あっち!あっち!」だなんて指さしたりしていたら、留守番している方にめちゃめちゃ睨まれて、資材調達担当には見て見ぬフリをされた。ような気がした。あの鳩らはわたしたちと助け合いながら暮らすつもりは全くない。そもそも鳩と助け合うシチュエーションが存在するかはわからないが、あろうがなかろうが向こうにはこちらと関わるつもりすらない。多分、食べ物を差し入れても懐くことはないだろう。もう完全にふたりの世界のなかにいる。

そうなるとだんだん気まずい場面も生じてくる。その営みをあたたかく見守っている限りはすごく微笑ましいのだが、こちらが洗濯物を干すときなんかはかなり接近戦になるのでものすごく、きまずい。
明らかにこちらの存在をむこうもわかっているはずなのに、目も合わせず、警戒するそぶりも特にない。そしてちちくりあっている。気まずい。
気が付けば鳩ごときにものすごく気を使っている自分がいる。よく考えたら勝手にうちの敷地にあがりこんで、勝手に新居をつくり出した鳩ら。人間と、鳩。ちがうルールで生きているちがう生き物なのだから、こちらの常識を押し付けるのは間違っているとは思うが、あまりにもお互いの居住スペースが近すぎるが故に、気にせずにはいられない。
あと、思ったよりも彼らの感情表現がわかりやすいところも、かなり気になってしまう。無駄に感情移入したりなんかして、最初はかわいい、愛らしい、微笑ましいだけだったのが、長く見てるとやっぱ喧嘩とかしてるときもあるから、マジかよ、いろいろあるんだな、と妙に世知辛い気持ちになる。そして、そうやって鳩の事情に首を突っ込んで、一喜一憂する自分はいったいなんなのだと、虚しくなってくる。

そんな奇妙なくらしが、数日続いた。
私の父は、そこに鳩がいることを初めからあまり快く思っていなかったようで、卵など産まないうちに、出て行ってもらいたいと言っていた。弟は、留守番係のほうがたぶんメスで、今にも卵を産みそうな顔してる、と分析した。どんな顔だよと思って、見に行ったら、鳩らはまた喧嘩していた。喧嘩というか、資材調達担当が帰ってきていつも通り留守番係とちちくりあおうとするのだが、留守番係の機嫌が悪いのかそっぽをむいてしまう。マタニティブルー?鳩にもそんなものがあるのかしら。資材調達担当はがんばっていたが、全部無視されていた。だんだん見ていられなくなって、見るのをやめた。わたしが彼らをそこで見たのは、それが最後だった。

事情はよくわからないが、彼らはつくりかけの巣だけ残していなくなった。最後の方はいい枝がみつけられなくなったのか、青いすずらんテープのようなものがぶら下がっている。それが風ではたはたなびくので、かなり目立つ。これのせいで誰か他のやつに居場所がばれて、邪魔されてしまったのだろうか。それともけんか別れかな、わたしがジロジロ見ていたのが実は嫌で、ほかにもっと静かなところを探しにいくことにしたのかな。

いなくなったらいなくなったで結構寂しいものだ。でもまぁ、仕方ないのだろう。鳩にもいろいろあるのだろうし、ぶっちゃけ子供がうまれて日がなピヨピヨされたらこっちも困るし。そう都合よく考えて、鳩のことは忘れることにした。よくわからない出来事だった。

そうしてまた元どおりの鳩なしの暮らしに戻り、鳩のことなど再びもうなんてことなく思えてきた今朝のことでる。

早朝、朝刊をとりに部屋を出るとあたりは明るくなりかけた頃で、遠くに始発の音がした。このあいだまでは始発の頃はまだ真っ暗だったので、少しずつ春や夏に近付いているのだなとつい明け方の空を見上げた。電線が走る朝の空は東京のかんじがある、と思う。電線には鳥がとまっている。
二羽。
の、
鳩。

たぶん、あいつらな気がした。びっくりして、あっ、と声が出た。一羽(たぶん資材調達担当)がパッと飛び立つと、もう一羽(きっと留守番係)も同じようにパッと飛び立ち、ふたりおなじところに降り立つ。

うちからはいなくなったけど、同じ街で暮らしているみたいだ。同じ街で、彼らは彼らの暮らしを営み、彼らの愛を育む。わたしはわたしの人間の暮らしを営む。両者深く関わらずに、両者それぞれの幸せを追い求め、同じ街に共生する。平和なことでとても嬉しい。
思わずおーい!と呼びたくなるが呼ばない。心の中で語りかける。がんばってね!お幸せにね!きみたちが庭の木に複雑に絡ませたすずらんテープ、ぜんぜん取れないんだけどなんであれ持ってきたの?!





2016年1月28日木曜日

ニャメン

きのう阿佐ヶ谷でしぬほどねむくて、でも仕方がないから歩いていて、赤ちょうちんに「にゃんこ」ってかいてあるのをぶら下げてる店を見かけてワーって思って、帰ってたくさん寝ておきて「にゃんこ」ちょうちんのことをハッと思い出し確かめにいったんだけど、「らーめん」ていうちょうちんだった。こういうのは案外かなしい。いろんなかなしみを抱き合わせで食らってるかんじがある。らーめんをたべて帰宅。チャーシュー麺。

2016年1月25日月曜日

田園調布

たまにいく街をぶらぶらしていて「ぽかぽか広場」という開けた公園をみつけたのだが時期柄ひえひえだった。照明がみどりいろだったので芝かなあと思ったけれども足触りはジャリジャリしていて芝ではなかったかもしれない。昼間にいくことがあれば確かめたい。



広場は丘になっていて夜景がうつくしく写真にとろうとしたが自分が撮れていた。

そして残念ながらぽかぽか広場で冷えてしまったからだを温めるべくずっと入ってみたいと思いつつなかなかタイミングがあわずにいたD&DEPARTMENT DINING TOKYOにふらりとはいってみる。お茶だけのつもりがカレーをたのんでしまう。珍しい野菜がたくさん入っていてたのしいカレー。カブがはいってた。カブって今までなんとなく存在を無視し続けていたけれど、おいしいんだな。見直した。とある昔話のせいで、カブというのは大きくて厄介というイメージがあったのかどうしても存在を受け入れられずにいた。昔話のせいかどうかは別としてもそうだったように思う。まあ今までこんなふうにカブのことを考えたことはなかったので、昔話のせいかどうかすら正直よくわからない。とにもかくにもはじめてこうしてカブに思いを馳せたのだ。1年くらいの間ずっと行きたいと思っていたお洒落なダイニング・カフェで、じっくりと、カブを。




2016年1月17日日曜日

また整体のはなし

年明けより早速整体に通いはじめる。帰りにセールでも見て帰ろうかと寄ったパルコのウインドウにうつったじぶんを見やるとすこしづつながら効果は現れているよう。

だけどまだまだただしい姿勢やただしい姿勢でいるじぶん自身に慣れずからだがおかしな感じがする。というか体調があまりよくない。
しらべるとこれはよくある話というか、まあある程度仕方のない話で「好転反応」とかなんとかいうらしい。からだの曲っていた部分に諸々悪因が潜んでいたのが伸ばされることによって散り散りに逃げ暴れているようなかんじだろうか。はやく改心し冷静さをとりもどして欲しい。

そういった体内の調子の変化ももちろん期待するところだがやはり見た目の歪みが改善されることにいちばん期待したく、経過をみるために一応写真をとっている。
とくに顔のゆがみはかなりきになるところなので、施術の前後にすっぴんの状態で髪をぜんぶ上げて真正面から真顔で写真を撮る。
そうするとやるまえよりもやったあと、1回目よりも2回目のほうがおかしさが軽減しているのがわかってうれしい。
ただ今後整体に通えば通うほどそんなあほ面の自分の写真がアイフォンに保存されていくのかと思うとすこし微妙な気持ち。

ちなみに整体院は通い出す前にも何軒か試したのだが痛いタイプの整体院にいくとモンゴルから来た先生が担当してくれることがなぜか多い。どの先生も大抵モンゴル語を教えてくれるので覚えようとするけど、からだをぐいぐい逆に曲げられながら教わるので施術がおわるころにはだいたい忘れてしまう。痛くて。

2016年1月10日日曜日

オート

久々に整体に行った。今年の目標のうちに整体にきちんと通い身体の歪みを直すというのがあるからだ。この計画は身体の歪みをとって美しく健康となり精神的な歪みをも修正しようという目論みで、この目標の達成をもって私は歪みのない実直な真人間となる予定だ。目標の達成のために12回の回数券を購入した。これを先に購入してしまったからにはきちんと通うしかなくなったので必ず計画は遂行されるであろう。しかも歪みをとるということに関してなにもかも整体師まかせにするつもりは断じてなく日々ストレッチや良い姿勢を保つことに努め効率的に達成を目指す所存である。ちなみに12回のコースが終わったらヨガ教室にも通うつもりだ。

ヨガ教室。ヨガ教室にいくつもりということを書くとなんだかとたんに恥ずかしくなる。ヨガをしている自分、をあらゆる意味でひとに見られたくないし、想像されるのもかなりつらいからだ。
ただ私の精神の歪みは結局こういうところに現れていると自覚しはじめ情けなくなってきたので敢えて明記した。

というのも私の精神の歪みとは結局できるかぎり歪みのない、クセがなくて人間らしさのない、目立ちやしないけど埋もれているわけでもない、極めてフラットな状態でいなければと思い込んでいるところにあるなと思う。
たとえば食事をものすごくおいしそうに食べるとか、流行りのものに飛びついてはしゃぐとか、そういう人間味あふれることをするのがものすごく恥ずかしい。だからヨガもはずかしい。意識高そうな感じがして恥ずかしい。
なんなら最近は、こうしてネット上などで感情を吐露することすら恥ずかしくなってきた。そのせいで最近は、文体が堅苦しい感じになってしまって、もはやそれも恥ずかしい。別に、こんなものはやってもやらなくてもいいし、どんなふうに使ったって間違いでは無いはずなのに。なぜか、恥ずかしい。感情や意識が周りに知れるのが、どういうわけだか恥ずかしいのだ。

今日の整体でも散々だった。すごく痛いのに、痛いと言ったり唸ったりせず、黙っていた。痛みから意識を紛らわせられるように、先生が雑談を持ちかけてくれたが、それにも必要以上に淡々と答えた。先生がそれを「ものすごく不思議」と言って、あっ、と思った。薄々気付いてはいたが、これは不自然なんだなあ、と。

とはいえ、それが自分の歪みなのだからと言って今後感情を全開にしていくつもりかといったらそんなつもりはなく、人間らしさを恥ずかしいと思わないくらいまで不自然じゃなくなりたい。

とりあえず整体にきちんと通い身体の歪みを改善してスタイルよくみえるようになって流行りの服とかを着てウキウキ歩いちゃうくらいになりたい。



2016年1月2日土曜日

あけまして御目出度う


正月はなにもしていない。正月料理を作って、ぼんやりねていた。年越しは家にいた。紅白みて、まあはやめに寝ようと思って布団に入ったが、こんな日は電車も夜通し動いているのにと思うと、途端に惜しくなり眠れなくなった。神社にいる人や、集まって年越しパーティーなんぞをしている人々の賑やかな声や足音が、枕元で聴こえてくるようだった。

去年はいろんなことがあった。激動の1年であった。いろんなことが変わった。近頃はいろんなことが変わり果てた生活にも、ほとんど慣れてきている。慣れて、今日無事正月を迎えた。呑気に餅など食べている。
こうしてあたりまえのように過ごしていると、ついさっき「いろんなことがあった」と書いたばかりではあるが、ほんとはいろいろなんて無かったのではないかと思えてくる。あったとしてもせいぜい1こか2この事で、ただただ普通に時がながれて、変わっただけなのかもしれない。

今年はどうなるだろう、またいろんなことが起きて、かとおもいきや結局なんでもなく終わるのだろうか。あとから思えばなんでもないのに、やってる間はなんで毎度毎度しんどいのであろう。

今年これからあるかもしれないいろんなことや、時がへらへらと過ぎていくなかでそれが掻き消され風化されていく空虚さを想像していたら、息苦しくなって結局正月からよく眠れなかった。