2016年3月6日日曜日

花風

吉祥寺の花屋で花を選んでいると制服姿にマフラーをくるりと巻いた女子高生たちがきてわちゃわちゃとなにか話し合うのが見えた。明日の卒業式で部活の先輩に渡す花を選びにきた様子だった。

花屋は駅ビルの1階にあり、正面のエスカレーターを上がるともう1軒別の花屋がある。
自分が吉祥寺で花を買うときはだいたいその2軒を見比べ、エスカレーターを上がったり下がったりしながら花を選ぶ。駅ビルを離れ街にでれば他のもう少し安い花屋もあるのだが、いつもその2軒を行ったり来たりしてして買う。なぜだかははっきりわからないが、昔からそうしてるから、吉祥寺で花を買うということは私にとってそういうことになってるのだと思う。

例に漏れず今日も私はそうしていて、居合わせた女子高生たちもまた、そうしているようだった。両方の花屋で、またはエスカレーターで、私は彼女らと何度も出くわし、すれ違った。お互いに何往復もしているようすだ。

ふたつの花屋は価格帯もほぼ同じだが、やはり微妙に値段が違ったり、花の種類や色もすこし異なっている。とはいえどの店で売られようと花はみなうつくしく、目移りするのは仕方ない。例えば予算が決まっていて、その予算内で、すこしでもうつくしい、気持ちのこもった花選びをしようとすると、やっぱりすごく悩ましい。女子高生たちもそれで悩んでいるようだった。

「このピンクのバラ、ちょっと高いけど先輩たちのイメージはやっぱこのピンクなんだよね、でもこれだと予算的に1本だよね」「それなら、ちょっと違うかんじのピンクだけどあっちの店のチューリップ2本にするほうが喜ぶかな?」

私がエスカレーターを登るとき、彼女らは降りて行き、私がエスカレーターで降りるとき、彼女らが登っていくときが何度かあった。すれ違う度に彼女らのそんな跳ね回るような会話がきこえて、あの人たちもずっとああやって悩んでるんだと思った。彼女らに心から共感し、行き交うたびになにかが交わっていくようにも思えた。

身に覚えがある。同じ記憶がある。そういえば私も高2のおわりの春、全くおなじことをしていたのだった。先輩の卒業式で渡す花を、予備校帰りにここで選んで…エスカレーターを登ったり降りたりしながら悩んで悩んで…。

結局どっちの店で、なんの花を選んだのだったか、今となってははっきり覚えていないが、あのときのことを、あのときの風の匂いごと、気がつけば思い返していた。ローファーを履いていて、マフラーを巻いていて、スカートは短くて、ブレザーの袖からカーディガンの袖を出して握っていた。先輩たちと会うのも明日で最後か、でもOBOGとかいって春休みとかには部活来るんだろうなあ、なんて思っていて、それでもお花を選ぶのに、先輩たちのことを考えると、卒業していなくなっちゃうのがやっぱり寂しかった。あとその時はまだ写メとかあんまり撮らなくて、インスタントカメラを帰りに2つくらいコンビニで買った。まだ風がつめたくて、でも明らかに春の高ぶった気流を感じていた。弾けとぶような質感の記憶である。

たしか誰かのために花を選んで買ったのはこの時が初めてだったように思う。となると、こうしてエスカレーターを登ったり降りたりして花をえらぶようになったのもその時からのことなんだな。すこししみじみして、女子高生たちが先輩に渡す花をチューリップに決めて買うのを見ていた。あのひとたちののこり1年の高校生活が、花々のようにうつくしく瑞々しい青春の物語でありますように。



(そしてわたしも真似てチューリップを買いました)




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