2016年2月26日金曜日

ヘア・ブラシ

半月ほど前に百円均一で買ったばかりのヘア・ブラシが早速壊れた。髪を梳かしているとブラシの毛自体がごそっとぬけてしまう。百円だし仕方ないとはいえ、ヘア・ブラシともあろうものがそそくさと禿げるなんて。あんまりだわ。気持ちがざわざわするわ。ざわざわするのでわたしは新しくちょっといいヘア・ブラシを買ったのです。ブラシにしては高かったがかなり、ちゃんとしていて、使ううちに髪質がよくなっていく気がしている。こういうものをコストパフォーマンスが良い、というのでしょう。半年で自ら率先してはげちらかしていくヘア・ブラシはコストパフォーマンスが悪い。縁起も悪い。あいつは一体なんだったのだ。ちょっと奮発してでも始めからきちんとしたものを買うべきだった。そうしていればわたしの髪は今頃もっとサラサラだったかもしれない。それがなくとも縁起でもないブラシにあんなにざわざわすることはなかった。心からそう思う。心から、そうは思うが、でもやっぱりいいやつを買ってもちょっとはざわざわすることがあって、それは、その素敵なヘア・ブラシを買うにあたり「素敵なヘア・ブラシ用のブラシ」を同時購入させられたことだ。いくら素敵なヘア・ブラシでも使っていくうちにホコリがついたり髪が絡まったり毛並みが乱れたりするので、それらをヘア・ブラシ用ブラシで梳いて整えるんだと。そりゃあもう、どんなにいい物だって物なのだから、劣化はあるし、それでもメンテナンスをして長くつかえるなら、それはそうするべきなのだ。だけれども、ヘア・ブラシをメンテナンスする道具がまたブラシだというのは、正直、ヘア・ブラシのくせに率先してはげてしまうのと似たような衝撃が、ある。要は、わたしの髪の毛を梳かすおまえもまた毛なのだね、ということだ。まったくもって望んでいないのに、魂のある近しい存在として重ねてしまう衝動だ。おまえは物であってほしい。あくまでわたしの髪を梳かすものであってほしいのに、おまえはおまえはおまえはおまえはおまえは…と、もうもはや「おまえ」と誰かいるかのように言ってしまうことに、ざわつきを抑えられず失笑してしまう。そのうち名前でもつけてしまうかもしれない。あんまり気味がよくないよな。


2016年2月16日火曜日

愛と平和の使者

先日庭に二匹の鳩が飛来し、仲睦まじく愛の巣をつくりはじめる、という出来事があった。

鳩の日常生活、ましてやカップルの同棲のようすなんてそうそう見られるものではない。面白くて、ついついチラチラ見てしまう。

しばらく観察していると、一羽はずっと建築予定地にてお留守番をしていて、もう一羽が家を作るための資材を探しにいく担当なのだということに気付く。
資材調達担当のほうはかなり張り切ったようすで飛び立ち、また張り切った顔で小枝をくわえて戻ってくるのだが、時々どの木に家を作ることにしたかわかんなくなってしまうらしい。持ってきた枝を一旦置いて庭を不安げにうろうろしたり、焦ったようすでキョロキョロしていたりする。こちらとしては戻るべき木もマーク済みなので、つい声をかけてそっちそっち!と指を指したりなんかしてしまうし、留守番中のもう一羽もやっぱりクルック〜と鳴いたりバタバタしたりして場所をアピールしていた。やがて再会した彼らはなんやかんやちちくりあいながら枝をいっぽんセットし、ややあって再び資材調達担当が出掛けていく。

そういった微笑ましい光景をニヤニヤしながら観察できるのは彼らが平和の象徴であるようにとても和やかで幸福であった。愛とは果たしてなんであるかなどとぼんやり考えこむことが時よりあるが、ここに育まれる愛をみているような気がしていた。鳩はそのへんの公園とかで相当の数、結構な頻度で見かけるのでなんら珍しい存在ではないが、公園で見ていたのは鳩個人ではなく、鳩の社会に過ぎない。鳩にも、鳩個人としての側面、鳩プライベートがあることを、わたしはこれまで想像したこともなかった。
鳩も、世にまみれて暮らしていた。世にまみれて、ふたりが出会って恋をして、ほかのだれにも見つからないところで、たったふたりで、ひっそりと、おうちを作って暮らそうとする。幸せになろうとする。

彼ら鳩カップルのそんな姿を目の当たりにすると、もう彼らがただの鳩には思えなくなった。となりに引っ越してきた新婚さん、うちは大家さん、くらいに思えてくる。

新婚さん、いらっしゃい。
新婚さん、このへんのことでわからないことがあったら、なんでもおばさんに聞いてね。
若いおふたりだから、まだまだ困ることもおありでしょう。
ご近所なんだから、助け合ってあたりまえよ。

そんなふうに明るく言い放てる感じのいい大家的存在にわたしがなれたらよかったのだが、基本的にご近所付き合いが苦手なタチである。付き合い自体は嫌ではないが、距離の取り方にこまる。良好な関係でいたい。困ったら助け合える関係を築きたい。でも先に挙げたようなことをえらそうに言ってお節介おばさんと思われたらどうしよう、だなんて思ってしまう。

実際、既に先ほど資材調達担当の鳩が戻る木わかんなくなったっぽかったとき、「あっち!あっち!」だなんて指さしたりしていたら、留守番している方にめちゃめちゃ睨まれて、資材調達担当には見て見ぬフリをされた。ような気がした。あの鳩らはわたしたちと助け合いながら暮らすつもりは全くない。そもそも鳩と助け合うシチュエーションが存在するかはわからないが、あろうがなかろうが向こうにはこちらと関わるつもりすらない。多分、食べ物を差し入れても懐くことはないだろう。もう完全にふたりの世界のなかにいる。

そうなるとだんだん気まずい場面も生じてくる。その営みをあたたかく見守っている限りはすごく微笑ましいのだが、こちらが洗濯物を干すときなんかはかなり接近戦になるのでものすごく、きまずい。
明らかにこちらの存在をむこうもわかっているはずなのに、目も合わせず、警戒するそぶりも特にない。そしてちちくりあっている。気まずい。
気が付けば鳩ごときにものすごく気を使っている自分がいる。よく考えたら勝手にうちの敷地にあがりこんで、勝手に新居をつくり出した鳩ら。人間と、鳩。ちがうルールで生きているちがう生き物なのだから、こちらの常識を押し付けるのは間違っているとは思うが、あまりにもお互いの居住スペースが近すぎるが故に、気にせずにはいられない。
あと、思ったよりも彼らの感情表現がわかりやすいところも、かなり気になってしまう。無駄に感情移入したりなんかして、最初はかわいい、愛らしい、微笑ましいだけだったのが、長く見てるとやっぱ喧嘩とかしてるときもあるから、マジかよ、いろいろあるんだな、と妙に世知辛い気持ちになる。そして、そうやって鳩の事情に首を突っ込んで、一喜一憂する自分はいったいなんなのだと、虚しくなってくる。

そんな奇妙なくらしが、数日続いた。
私の父は、そこに鳩がいることを初めからあまり快く思っていなかったようで、卵など産まないうちに、出て行ってもらいたいと言っていた。弟は、留守番係のほうがたぶんメスで、今にも卵を産みそうな顔してる、と分析した。どんな顔だよと思って、見に行ったら、鳩らはまた喧嘩していた。喧嘩というか、資材調達担当が帰ってきていつも通り留守番係とちちくりあおうとするのだが、留守番係の機嫌が悪いのかそっぽをむいてしまう。マタニティブルー?鳩にもそんなものがあるのかしら。資材調達担当はがんばっていたが、全部無視されていた。だんだん見ていられなくなって、見るのをやめた。わたしが彼らをそこで見たのは、それが最後だった。

事情はよくわからないが、彼らはつくりかけの巣だけ残していなくなった。最後の方はいい枝がみつけられなくなったのか、青いすずらんテープのようなものがぶら下がっている。それが風ではたはたなびくので、かなり目立つ。これのせいで誰か他のやつに居場所がばれて、邪魔されてしまったのだろうか。それともけんか別れかな、わたしがジロジロ見ていたのが実は嫌で、ほかにもっと静かなところを探しにいくことにしたのかな。

いなくなったらいなくなったで結構寂しいものだ。でもまぁ、仕方ないのだろう。鳩にもいろいろあるのだろうし、ぶっちゃけ子供がうまれて日がなピヨピヨされたらこっちも困るし。そう都合よく考えて、鳩のことは忘れることにした。よくわからない出来事だった。

そうしてまた元どおりの鳩なしの暮らしに戻り、鳩のことなど再びもうなんてことなく思えてきた今朝のことでる。

早朝、朝刊をとりに部屋を出るとあたりは明るくなりかけた頃で、遠くに始発の音がした。このあいだまでは始発の頃はまだ真っ暗だったので、少しずつ春や夏に近付いているのだなとつい明け方の空を見上げた。電線が走る朝の空は東京のかんじがある、と思う。電線には鳥がとまっている。
二羽。
の、
鳩。

たぶん、あいつらな気がした。びっくりして、あっ、と声が出た。一羽(たぶん資材調達担当)がパッと飛び立つと、もう一羽(きっと留守番係)も同じようにパッと飛び立ち、ふたりおなじところに降り立つ。

うちからはいなくなったけど、同じ街で暮らしているみたいだ。同じ街で、彼らは彼らの暮らしを営み、彼らの愛を育む。わたしはわたしの人間の暮らしを営む。両者深く関わらずに、両者それぞれの幸せを追い求め、同じ街に共生する。平和なことでとても嬉しい。
思わずおーい!と呼びたくなるが呼ばない。心の中で語りかける。がんばってね!お幸せにね!きみたちが庭の木に複雑に絡ませたすずらんテープ、ぜんぜん取れないんだけどなんであれ持ってきたの?!