2015年4月25日土曜日

風化する

桜の花びらが窓からはらりと飛び込んでくる音とか雨がアスファルトを打ったときにたちあがる匂いとか公園のあおい草原をはしる風や雲の影とかホームに差す夕陽が金色の粒になって髪を透かすこととかそれらの美しさや情緒もすべていつのまにやら昔みた夢のようになってしまった。あるときふと見返した写真フォルダには似たような空の写真が並んでいてああ無意味、容量足りなくなるからこれら全て消すしかないやと思ったり、そんなことを繰り返してるうちに瞳は純度を失っていった。突如訪れるずきんとするような胸の痛みを回避する方法も身につけたけど埃色の虚しい気流がずっと胸のあたりに停滞するようになった。

短いスカートをひるがえして自転車で駆け回ったあの日の桜、あの日の夕立、あの日流れた雲の影、季節の移り行くエネルギーに敏感で涙だってすぐ溢れた日々の記憶にわたしは想いを馳せました。あれは思い出だからあんなふうに美しいの? そういうわけではないと思うんだけど。ずっとああやって情緒を糧に飛び回る風のようでありたかった。今、大人になって得た何を失えばあの日の感覚に戻れるのかしら。そういうことを考える。多分、そういう問題じゃないのは分かっているのだけれど。

(「秒速5センチメートル」というアニメを見ました。)




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