2015年3月21日土曜日

人間と世界

どんなに人に引かれたりすきな人にふられたり友達に嫌われたり育ててくれた親をギョッとさせたり社会になじめなかったりチョットあの人はアレと俗世間から線引きされたりしようとも自分の世界を持つことが最も幸福でそれこそが精神の自由であるんだよ、と今はとにかく自分に言い聞かせる。大切なのは自分の世界を守りつつ俗世間ともうまくやっていけるようになんとか折り合いをつける技術を身につけることだ、ということも。わたしは誰かに「頭がおかしい」とか「変わってる」とか言われるのが怖くて世界を売り、滅ぼし、まともでフラットな人間であろうとしたことで身を滅ぼした。わたしを一度殺して新たなるわたしになろうとしたはずなのだけれど、結局はいちど殺したわたしの恨みがあたらしいわたしに取り憑き続ける結果となり、結果何者でもない輪郭だけの人間となってしまった。個性だ個性だと言って没個性にはまりながらもなにか特別な自分を信じ続けるような人をわたしは軽蔑するけれども、一方でそのようにして自らの世界を守り、ズレのようなものさえ許し、俗世に馴染んでいく姿勢には羨ましさというか嫉妬というかちょっとした尊敬のようなものも覚える。
自分は自分の世界と俗世の両方を恨み両方を手本としながら、どっちつかずのまま正体を失ったわけだから、とにかくいまはなんでもない。かわいくもなければ面白くもない。いくら可愛いふりをしてもほんとうはたいした可愛げもないしメチャクチャな女だし、かといってそのメチャクチャさはいまやもみ消してしまったわけだからその点面白みもない。ただの人は当たり障りなくだれからも好かれるようでいて、結局は輪郭しかない表面的な物体であるからつまらなくて愛されないと思う。
わたしはなにかを取り戻さねばならない。精神の自由。人間的な愛らしさ。
ほんとうに頭のおかしい人なんていくらでもいるんだから、狂うことに臆せず、また、ほんとうに平凡な人間などいないのだから、人間らしさを憎むことのないよう、愛や怒りや悲しみを卑屈にならずに表すやり方を覚えないといけない。人間やるのって難しい。人間にうまれたはずなのに。


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