2014年12月28日日曜日
微熱
2014年12月16日火曜日
発光する
2014年12月15日月曜日
猫の不在
2014年12月6日土曜日
病院/心臓
2014年11月27日木曜日
ミルミル
2014年11月25日火曜日
きみが好きだよエイリアン
先週職場でたまたま垂れ流されていたラジオからとても心地よい曲が流れてきてうっとりぼんやりしてしまい、仕事はおろかその曲が誰の何であるかすら聞き取るのをわすれてしまった。
まあ聞いた感じキリンジだろうと思っていたからせっかくうっとりしてるのを急に耳ダンボにして誰の何か聞かなくてもあとで調べられるだろうと思った。
それでうちに帰ってネットで調べようとしたけれども、ふだんまったくラジオを聞かないのでそれがどこのラジオ局のなんの番組だったかということすらわからなくてまったく見つけることができなかった。
ダメもとでiPhoneのsiriを起動して脳裏に残っているメロディーの一部を自ら鼻歌で歌ってみたけれどもワカラナイと言われた。
それで2日くらいは諦めて放っておいたけど今日昼休み中にまたどうしても気になってきて、該当しそうなラジオ局にかたっぱしから電話をかけてやっとの思いで教えてもらった。
やはりキリンジの曲で「エイリアンズ」というやつだった。
改めて聞いてやっぱりすばらしく帰りの電車で少し泣いた。
2014年11月24日月曜日
メラニメ
ひゅうどろ
2014年11月17日月曜日
さとうみず
2014年11月11日火曜日
サービスカウンター/店内アナウンス
徹夜明けで朦朧としていたが多肉植物の土を求めてホームセンターに行った。自分で見つけ出す体力がなく店員さんに問い合わせるも眠くて呂律がまわらず「たにくちょくぶつのちゅち たにくちょくぶつのちゅち…?」とめちゃくちゃに噛み倒した。数回言い直したけどぜんぜん上手にいえなくて、大人気ないがその場で号泣しそうになった。店員さんは察してすぐに取りに行ってくれたのだけれど、よく考えたら既に昨日別の店で購入してあることを突然思いだし、慌てて逃げだしてしまった。
こんな情けない出来事はできることなら人生の記憶から切り取って捨ててしまいたいような気持ちだったが、うちに帰って倒れるように眠ってもずっとこのことでそわそわしていた。恥ずかしくさと情けなさと申し訳なさがどんどん新しく湧き上がってきてはゲル化し、あたまと体にまとわりついて染み込むようだった。
わたしはこういう後味が悪くてしょうもない夢をよく見るので、これもその類の夢の記憶だよねとやけくそな頭で思ってみたりもしたが、ベランダにたにくしょくぶちゅの土が二袋もあるのを見るとこの手厳しい現実に脳みそが萎縮する。
2014年10月23日木曜日
天使たち
2014年10月22日水曜日
捻れた背骨
2014年10月21日火曜日
10月20日
2014年9月30日火曜日
未完成
つぶしたり踏んだりベープなんとかを起動したりした覚えはないのに弱った蚊が寝室の床を息も絶え絶えに歩んでいた。
虫の息とはよく言ったもので虫が虫の息だともはや他に例える対象を思いつかない。
すこしして歩みを止めた蚊は糸くずのような足に辛うじて含まれていた力をふわりと抜き息絶えた。
彼の死因は結局のところ不明であるがそのへんのベチンと叩かれて死ぬ蚊よりは美しく、完成された死であった。
しかしかといって亡骸をそのままにしておくわけにもいかずせめてティッシュでやさしく包もうとその場を外し、ティッシュを持って戻ってきたらその姿はどこにも見当たらなくなっていた。
どこからが幻だったのだろうか。今度はこちらが弱ってしまった。
2014年9月6日土曜日
天国
きのう久々に銭湯に行った。
実家ぐらしで風呂もあるから銭湯に行くことはほぼない。行きたいと思うことも一昨年くらいまでは全くなかった。去年の夏、死ぬほど消えたかった日々のうちに突然、「あ〜銭湯でもいったらさっぱりするかしら」と思ったことがあった。とにかく生き心地のわるい日々だった。それである休日の夕方にひとりで吉祥寺の銭湯にいった。良すぎた。バブル・バスの泡が弾ける音や桶がタイルの床をカコーンと鳴らす音やらを、湯けむりが白みがかった静寂に替えていた。知らない女の人のはだかとわたしのはだかを比べてあまりの情けなさにくやしくなった。わたしもあんなふうになりたいって久しぶりに希望みたいなことを思った。ずっと天国にお邪魔しているような気持ちだった。帰りたくなくて、めちゃくちゃな気持ちになったんだった。
その後しばらくは死ぬほど消えたい日々が続いたしむしろ消えかけてきて死にそうだったけどいろんな変化や人の助けもあり今はもう元気だし、きのうはいつかみたいに現実逃避的なことではなくただ単純にお風呂に入りたくなったから銭湯にいった。桶が床を鳴らす音も、湯けむりの色も、前とまったく同じだったけど、あのときみたいに感傷を呼び寄せたりはしなかった。ふつうにからだを洗って、髪を洗って、当たり前のように湯船につかってあったまって。体もすこしふっくらしたし、あのときのしらない女の人みたいに、少しはなれてるんじゃないかって。勝ったような気持ちになった。もう天国の住人です。
天国サイドの人間なのでもう死にたいとか消えたいとか思わない。一度あの頃のような現実と夢の間を彷徨うみたいな生き心地を経験してしまうと、当たり前のように風呂に入って体洗って髪あらって湯けむりの行く先に耳を傾けないのは繊細さに欠くような気がしてすこし寂しくもあるけど、いつまでもああしてはいられなかったんだ。勝ちに行かなきゃいけないよ。湯けむりの向こうには富士がみえました。