2014年9月30日火曜日

未完成

つぶしたり踏んだりベープなんとかを起動したりした覚えはないのに弱った蚊が寝室の床を息も絶え絶えに歩んでいた。

虫の息とはよく言ったもので虫が虫の息だともはや他に例える対象を思いつかない。

すこしして歩みを止めた蚊は糸くずのような足に辛うじて含まれていた力をふわりと抜き息絶えた。

彼の死因は結局のところ不明であるがそのへんのベチンと叩かれて死ぬ蚊よりは美しく、完成された死であった。

しかしかといって亡骸をそのままにしておくわけにもいかずせめてティッシュでやさしく包もうとその場を外し、ティッシュを持って戻ってきたらその姿はどこにも見当たらなくなっていた。

どこからが幻だったのだろうか。今度はこちらが弱ってしまった。

2014年9月6日土曜日

天国

きのう久々に銭湯に行った。

実家ぐらしで風呂もあるから銭湯に行くことはほぼない。行きたいと思うことも一昨年くらいまでは全くなかった。去年の夏、死ぬほど消えたかった日々のうちに突然、「あ〜銭湯でもいったらさっぱりするかしら」と思ったことがあった。とにかく生き心地のわるい日々だった。それである休日の夕方にひとりで吉祥寺の銭湯にいった。良すぎた。バブル・バスの泡が弾ける音や桶がタイルの床をカコーンと鳴らす音やらを、湯けむりが白みがかった静寂に替えていた。知らない女の人のはだかとわたしのはだかを比べてあまりの情けなさにくやしくなった。わたしもあんなふうになりたいって久しぶりに希望みたいなことを思った。ずっと天国にお邪魔しているような気持ちだった。帰りたくなくて、めちゃくちゃな気持ちになったんだった。


その後しばらくは死ぬほど消えたい日々が続いたしむしろ消えかけてきて死にそうだったけどいろんな変化や人の助けもあり今はもう元気だし、きのうはいつかみたいに現実逃避的なことではなくただ単純にお風呂に入りたくなったから銭湯にいった。桶が床を鳴らす音も、湯けむりの色も、前とまったく同じだったけど、あのときみたいに感傷を呼び寄せたりはしなかった。ふつうにからだを洗って、髪を洗って、当たり前のように湯船につかってあったまって。体もすこしふっくらしたし、あのときのしらない女の人みたいに、少しはなれてるんじゃないかって。勝ったような気持ちになった。もう天国の住人です。


天国サイドの人間なのでもう死にたいとか消えたいとか思わない。一度あの頃のような現実と夢の間を彷徨うみたいな生き心地を経験してしまうと、当たり前のように風呂に入って体洗って髪あらって湯けむりの行く先に耳を傾けないのは繊細さに欠くような気がしてすこし寂しくもあるけど、いつまでもああしてはいられなかったんだ。勝ちに行かなきゃいけないよ。湯けむりの向こうには富士がみえました。