2014年8月31日日曜日

夏は幻

八月も末。こんなにも夏が短いのは、わたしが大人になってしまったからですか。「大人になんてなりたくなかったんだよ俺は、夏が短いんだもの」と、いつだったか親しくしていたひとりの大人が言っていました。わたしは大学生でした。夏は続かずとも、残像くらいはずっと続くと思っていた。永い夏。終わらない残像。その先端を咥えて、野良猫のように、かわいいお顔で、どこまでも走ってゆけると。いつまでだって、わたしならそうしていけると、そう信じていたのです。

八月のおわり、身軽なドレスに身を包んだわたしは、ストッキングも履かずに、スポーツカーの助手席に乗って、夜の高速道路を走っていました。時速120km。あのころよりも速いスピードで。ベガ、アルタイル、デネブ、ベガ、アルタイル、デネブ、ベガ、アルタイル、デネブ、あれらの星に届きそうなほど遠くまでいくつもりでした。
蝉。いくつもいくつも死にました。それでもいつまでも鳴いていました。「あれは誰のために、なんのために響くのをやめないのか?」「そんなことはわかりきっていること」夏を終わらせないためです。共鳴するひぐらし。夕立のあとのモワリ。喫茶店で氷がカラカラするコーヒー。堕ちた朝顔が、コンクリートを赤紫にそめること。雨戸の閉じた縁側に、風鈴だけがみえること。それらすべてが夏の残像であることに、だれもが幼少のうちに気づいているはずです。

わたしはふと思い立って、さきほどからいくつもいくつも噛んでいたボール・ガムを指でつまんでのばしました。甘い味がしなくなるたびにもうひとつ、もうひとつと口にいれていったので、それはどこまでもどこまでも伸びました。「ほらこのようにどこまでも永遠に。」そのように発音した途端、ボール・ガムのかすはへろへろと散りました。口を動かすべきではなかったのです。

気付けばわたしは冷たいべらんだの床にぺたりと座っていました。綿のハーフパンツにはパーカーとスニーカー。裸足でしたが、靴下がいるなと思いました。風鈴のかわりに鈴虫が鳴くのがありありとわかりました。高速道路などこの世にはなかったような気さえします。
パーカーの袖をできるだけ伸ばして掴んでいないとチリチリします。だけどパーカーの袖はどこまでも伸びません。ガムはどこに捨てたんだっけ、高速道路の風景を思い出します。右隣で誰かがこう言ったように記憶しています。にこやかで儚げな声でした。「夏は幻だよ。」

夏は幻だよ。

2014年8月8日金曜日

電車のなかで居眠りをしたら真っ白な部屋の真っ白な机の上にものすごくたくさんの見たこともない花(グレーとベージュの花 ちいさい 数量は各500くらい)をひろげてそのひとつひとつの花びらからピンセットで丁寧に葉脈のようなものをつまみ取る夢を見た。

目を覚ますと向かいの席に座ってる人が「明日から俺なつやすみ〜あ〜」と言いながらビニール袋に吐いていた。

気を確かに持つこと。と考えながら渋谷で降りた。